去年、ブログをアップできなかったのでということであげさせて頂いている

2023年の我が家の旅・3日目そして4日目。

(忘れないようにと言う身内ネタなので興味のある方だけご覧ください。)

 

 

乳頭温泉・鶴の湯の気のいい お父さんのおかげもあり、

楽しい朝食をとることができ

温泉とお父さんたちにすっかり充電してもらった我々は、

3日目も どんどん進みます。

(写真は、朝食を5人で一緒にしたいので空くまで待つと言ったところ

 わがままはだめだと言われ(笑) 

 心優とこたろうが離れて、夫婦漫才風に食事をしている所に

 入ってきてくれた、鶴の湯のお父さん(笑))

 

 3日目・最初に向かったのは田沢湖。

日本一深い湖です。

そして、出迎えてくれたのは「たつこ像」

 

ここで「八郎」伝説がまた出てきます。

 

物凄く簡単にまとめますと

「八郎太郎」は十和田の山奥でいろいろあって

竜神となり、沢の流れをせき止めて できた湖が

「十和田湖」そして、そこの主となる。

 

十和田湖で暮らしていたところ

熊野権現のお告げで今日からここの湖の主となるといった

南祖坊(十和田神社のある場所で生まれた?)と激しい戦いが始まった。

南祖坊はお経を投げつけ八龍に変え、八郎は8つの頭を持つ龍に変化し戦った。

7日7晩続いた戦いは、結果、八郎が敗れ、十和田湖を去った。

 

その後、自分ですもうと思ったところを2箇所、

地元の神様たちに追い出された八郎は男鹿半島に向かい

行きついてつくった湖が八郎潟。そして永住の地とした。

 

そして、田沢湖では、いろいろあって美しい娘「辰子」が龍となった。

そんな辰子の事を知り田沢湖を訪れた八郎。辰子は喜び八郎を受け入れた。

 

八郎は冬になると田沢湖を訪れ、一緒に暮らす。

八郎潟は、八郎がいない冬は凍るようになり

田沢湖は、逆に冬 凍らずますます深くなった

とのことです(諸説あり)

 

 

 

そんな田沢湖で色々と考えさせられましたが

次に進みます。

 

次はいよいよ 

仏教都市をつくった奥州藤原氏、

そして、源義経公の足跡をたどります。

 

足跡をたどると言いながら

最初に向かったのはルートの都合上、

 

義経公 終焉の地 「高館義経堂」

話しを聞けば聞くほど切なく悲しくなってきます。

 

我々が「高館義経堂」に向かうにつれて雨が降り始め

現地に到着した瞬間。大雨に変わりました。

来るなと言われているのかなとも考えましたが、

御供養になるのかなと思い手を合わせてきました。

 

義経堂の入り口に着き手を合わせるころには

少しづつ雨もおさまってきました。

そんな、ちょっと切ない場所でした。

 

 

 

雨も少し小降りになったところで

中尊寺に向かいます。

 

平和を強く望んだ

奥州藤原氏 初代清衡公。

 

平和への思いと

戦乱で亡くなった人(敵も味方も関係なく)を慰める思いで

建立された中尊寺。

 

 

当時の奥州藤原家の繁栄を感じながら

じっくり、めぐって、各所でお参りしてきました。

(めぐるのが一生懸命で、あまり写真がありませんでした(涙))

 

 

 

そして、次に向かったのは、

「毛越寺(もうつうじ)」

 

慈覚大師円仁が開山し、

藤原氏二代基衡公から三代秀衡公の時代に多くの伽藍が造営され、

往時には中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったとのことです。

そして、国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受けています。

 

とても美しく豪華な庭園で

当時の奥州藤原家の力の大きさを鑑みることができました。

 

 

 

 

 

 

毛越寺で3日目の研修を終えた我々は宿泊地 白河に向かい

ゆっくりと休み 4日目 最終日をむかえました。

 

 

4日目のスタートは

100名城の一つであり

関東と奥州の境となり

奥州にとって要の城 「白河小峰城」

 

立派な石垣に見とれながら

じっくりゆっくり見て回りました。

戊辰戦争の激戦地「稲荷山」の杉の木に打ち込まれた弾丸。

その杉の木を製材した弾丸の穴の開いた板が使われていました。

 

 

 

そしていよいよ、この旅の締め

最後に訪れたのは「白河関」です。

 

ぐるっと回ってきた2023年夏「みちのく」の旅ですが

(秋田県は出羽ですが、大きなくくりとしてということでご理解ください)

 

最後にみちのくのスタート地点にやってきました。

この白河関を通ると陸奥に入れるわけです。

 

 

 

関東からここまで歩いてきて、

(関東とは限りませんが・・・)

 

ここから先、青森までの「みちのく」への長い道を歩いていく。

車でもたいへんです(笑)

 

その長い道のりの途中に

仏教都市 奥州平泉がぱっと開けていたということでしょうか。

なんとも言えないすごい話しです。

 

今回の旅でも色々なことを経験して

私たちの国を感じることができました。

 

今年は、子ども2人が受験生なので

大きな旅はできないと思いますが

 

本州で残されている福井への旅を

早めに成し遂げたいと思います。

 

上野家の夏旅へのお付き合いありがとうございました。