なかなか芽生えが始まらなかったミカンの木に小さな芽が出始めたのが一週間前。

昨日木を見ると、まだ広がってもいない小さな葉にオレンジ色の球体がポツポツと。

 

今年もようこそいらっしゃいました、アゲハさん。

しかし来訪するのが早すぎませんかね?

まだ葉が開き始めたばかりなのに7個も卵を産みつけて。

 

去年の猛暑で木の上部が枯れてしまった。今年どれだけ葉を茂らせられるか分からない状態でこれだけの卵を産みつけたということは、周辺に同じようなミカンの木がないということなのか・・・?

アゲハにそんな気持ちはないだろうが、その必死さを想像してしまう。

 

産みつけられた卵はいずれ幼虫となって殻をやぶり、そばにある葉を食べ、何度か脱皮を繰り返して成長し、安全と思われる場所に移動してさなぎとなる。そして羽化し羽ばたく。

この過程で親(成虫)の介入はまったくない。蝶の子供は一人(一匹)で大人(成虫)となる。

親や社会の保護を受けなければ大人になれない人間とくらべてどれほど優れた存在なのだと感じる。

えらそうにしている人間なんぞ、どれほど未熟な生物なのだ。

 

子の未来をつぶして平然としている親がいるような人間はどれほど下等な集団なんだろう。

 

「セミは7日間しか生きられない」というのは、セミの成虫の生存期間に着目しただけだ。

成虫になるまで数年土の中で成長する。セミの人生(虫生?)の中心は土の中で暮らす期間。

成虫の期間は交尾して子孫を残すための余剰期間にすぎない。人間に例えれば老後といえるかもしれない。

そうなると、人間も成人した時点でその後は人生の余剰期間になるのでは、なんて思ったりする。

 

だからあんまり出しゃばったらいけないと思うし、どうでもいいことに口を出さなくてもいいかと思う。

子供の行動についても同様。失敗は人生の経験値。親が先回りして子の失敗を回避することは、子供の経験値稼ぎを邪魔する行為になりかねない。自分で生きる力を子に身に着けさせない親は、子供をどうしたいのだろう。

 

アゲハが卵を産みつけた葉のそばで、卵に直射日光が当たらないように羽を広げている姿をイメージする。

つきまとうことは優しさでも愛でもない。毒、もしくは老害だ。

 

 

おまけ

鴻上尚史のほがらか人生相談