色々と話してきたがどうじゃ?


自身の見直しは進んでおるかのう・・・


如何に「無くしてきたもの」が多いのか


唖然とするはずである・・・


違うか?


無くしたものとは感じる力・・・


そなたは世間に揉まれる内に


感じる事、感じる力を自ら閉じたのじゃ


それはやむを得ぬ手段であったかも知れぬ


なるほど、この世界は確かに酷いからのう・・・


ドアを閉めて、閉じこもりたくなるのも分かるわ・・・


多くの者がそのようにして自身の壁や殻を作っておる


そして、益々感覚の無さ、無感覚の世界に閉じこもる


人が嫌なら自然に心を委ねる事じゃ・・・


それでも「癒し」にはなる・・・


自然は誰彼が嫌いと分け隔てせぬからのう・・・


別に野や山へ行けとは言わぬ


公園におって、ただ立木や花を眺めても良い


それらが、自身に語りかけてくる


そのような「錯覚」が起これば、それは「癒し」が来ている


そう見て良いのじゃ・・・


それは閉じた感覚を再度開く作業・・・


人相手にドアは開かぬが、草木相手ならそれが出来る


で、あれば誰しも出来るであろう・・・


わらわは苦しい修行をせい!等とは言わぬ。


もう、そのような時代ではない・・・


自分の頭脳と感覚を駆使して生きる時代・・・


そういうものと思うだけじゃ・・・