安政の大獄町歩き・

荒川区千住


親子でぶらり学べるスポット

千住まち歩き

(東京都荒川区)



北千住は戦国時代から市がたっていたのに、

南千住に大勢の人が住み

始めたのはようやく

明治の半ば過ぎから

なんですよ。

町歩き荒川区町歩き

案内・観光ボランテァ

ガイドの会に参加の記録

です。

小塚原刑場に加えて


江戸に5ケ所しかなかった


火葬場が広い面積を占めていたためだそうで、


その刑場跡・延命寺は南千住駅の


すぐ脇にある。穏やかな、


お顔立ちをした首切り地蔵が


ここに眠る眠る人々の霊を


見守っている。


お隣の回向院の別院として建てられたが、現在は独立したようです。


安政の大獄で処刑された、


吉田松陰、橋本左内らが眠る


墓はともに大きくはない。


当時はいわば賊軍ですから、


何度も建替えられたようです。


鼠小僧次郎吉や毒婦として


知られた、高橋お伝の墓もある。


蘭学者の杉田玄白、前野良沢らが

刑死者の腑分けを見学したのも

この刑場で、それが解体新書の

翻訳につながった。


回向院の入口には、観臓記念碑の


レリ-フが埋め込まれている。


300m程西に向かうと、


影義隊の兵士を供養した円通寺に、


ここに移築された上野の寛永寺の


黒門には、上野戦争の弾痕が


そのまま残り、戦いの激しさを


伝えている。


芭蕉の句碑がある。


スサノオ神社などを巡って


千住大橋をわたり、北千住の


本陣跡などを案内するのが


普通のル-トです。約1里の


行程ですねと案内の先生。


どういうわけか皆さん、南から


北へ歩かれます、歩いた後


一杯やる場所が北に多い


ためでしょうと苦笑い。



足を延ばせば

荒川ふるさと文化館


荒川区南千住のJR常磐線

当時

南千住駅徒歩8分(今の私は20

分)。荒川区の歴史、民俗資料を紹介してました、

常設展示室では、区内で


発掘された遺跡や土器、


中世の板碑、昭和41年頃の


復元家屋も展示してありましたが現在も有るのかな?。

無責任ですね、江戸(東京)を

離れてから行ってないので


若い頃は新聞記事を


見つけては歩いていました。


ので記事の現地には行きましたが、

現在変わっている箇所も

あるかもしれません。

現在変更されていたり

なくなっていましたら

お許しください。


◎江戸時代の日光道中の

宿場町



千住宿が拡大し、1660年に


小塚原町と中村町が加えられて


以来南宿(下宿)と呼ばれた。


少し足を延ばせば、駅南側の


泪橋に山谷・簡易宿泊施設が


少なからず残っています。


1976年10月25日に火災があり


1987年以降に大規模な再開発が


開始され、明治以降、隅田川を


利用した舟運と鉄道貨物基地で


大日本紡績と鐘淵紡績で栄えた


が現在は駅東口につながる


補助322号沿いは複合商業施設や


新興住宅市街地として賑わいを見せる。西口周辺は超高層マンション、商業施設の建設が進んでいる。


かつては東京スタジアムがあり一度だけ行きました。


現在訪ねたら、たぶん、あまりの


変わりようにわかりませんね。


最後迄読んで頂きありがとうございます。



演歌の好きな私は

橋幸夫さんが、再登場

(荒川区出身)の潮来笠で

潮来がり。


2024年5月10日投稿です