徳川家最後の将軍越谷で

鷹狩りに。

画像はネットより拝借しました。

鶴の飛来が多く、狩りを楽しむ




江戸時代最後の将軍
徳川慶喜が越谷周辺の
鶴を捕りに鷹狩りに
来ていた。


越谷市宮本町の楽器店
経営、当時の大野光政さん
自宅の蔵で徳川慶喜の
宿泊記録を見つけた。
大野さんが見つけたのは
芳名録と呼ばれるもので

それによると慶喜公は

1900年(明治33年)6月5日と8日の

2日間、大野邸に宿泊している。

大野さんが見つけたとき

はびっくりした。

なぜ私の家に泊まったのかは

わかりませんが、慶喜の側近から

の礼状も見つかり、信憑性は

高いのではないか、また、

越谷周辺は明治時代には鶴が

飛んでいたということも分り、

二重の驚きですと喜んでいる。



◎自宅の蔵に宿泊記録(芳名録)

明治33年6月、礼状も・越谷市


宮本町の大野さん宅で見つかった

のは、宿泊記録と、御礼状、

そして慶喜と署名入りの短冊。

越谷周辺は当時、筋御狩場といわれ。庶民は禁猟区であった。

大野さんによると、曾祖父の

大野伊右衛門さんが芳名録を

記録したという。その記録に

よると、慶喜とその家臣2人が

明治33年6月5、8日に宿泊している。「鷹狩り」は5日~9日迄の

5日間、越谷周辺で行われたとされ、宮内省関係者6人も加わり、

鶴を捕りに来たという。

慶喜は、宿泊の謝礼として、

大野家に茶料として、15円を、

使用人に対しても合計5円を与えている。宿泊礼状は東京巣鴨の

徳川別邸から明治34年4月15日に

送られている。大野さんによると

当時は材木屋を営み、近くの

元荒川に舟を浮かべて材木を

運んでいたという。

「旅館でもない、うちになぜ

宿泊したのかは分からない」と

大野さん。芳名録によると、

明治から大正にかけて、

皇族が宿泊した記録もあり、

「越谷周辺を視察に来たのかな」

と、大野さんは話している。

大野さんは「これまで、慶喜が

越谷に来たという記録がなかった

これが見つかったことで、越谷に

新しい歴史事実が分かったと思う」と話していた。日光道中の宿場町だった越谷市。




慶喜が越谷まで鷹狩りに来ていた。
史跡めぐりで、訪ねた時は
マンションになっていまして
案内板がだっていました。

平成23年頃の記録です。
現在は確認していませんので
変わっていたらお許し下さい

最後までお読み頂きありがとうございます。
2024年4月16日投降




現在の東武鉄道・越谷駅