県庁の宇都宮町移転について

明治6年(1873)6月に宇都宮県
を合併した栃木県は県庁を
そのまま栃木町に置いたので
宇都宮県庁のあった宇都宮町
の不満は大きかった。
さも古い明治19年の
[栃木県統計書]によれば、
宇都宮町の町勢は戸数で
栃木町の3倍、人口は4倍あり
市場の売買高に至っては
10倍もあった
(栃木町の戸数は足利町に次いで3番目、人口は5番目である。町村税収入も宇都宮、足利、佐野、鹿沼町に次いで
5番目である)。それが、
栃木町には学校(師範学校・医学校・中学校・女子中学校)。や官衛(裁判所・監獄本署・警察署)、第41国立銀行
本店が置かれたが、宇都宮町は県の市庁が置かれただけであったので、県庁移転を切望する声が高まっていた。
宇都宮町が県庁の移転を本格化したのは明治15年である。
12月、川村伝蔵河内郡長が
中心となって内務省に嘆願書を提出し、翌年には町民も
県庁敷地の上地(納地)や
新築費(県庁・監獄・師範学校)を負担するとの書状を
三島県令に提出した。一方、
栃木町の有志も移転反対の
陳情書を1,280人の署名を
持って内務省に提出するなど
両町の陳情合戦が過熱したので、内務省は手続きに不憫が
あるとして受理しなかった。
結局明治17年1月、県庁の
移転が認められるが、政府は
宇都宮県に変更は認めなかった。結果県名は栃木県で
県庁は宇都宮市と決まりました。

随想舎さんの影山博先生の
とちぎ歴史をあるくを
引用させて頂きました。
ありがとうございます。

あとはわたくしごとてす

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また演歌が大好きな私
本日3月23日は
島津亜矢さんが
宇都宮文化会館で
コンサ-トです。

宇都宮出身の
森山愛子ちゃん
雨の空港、会津追分
約束(韓ドラ・イサン)

野中さおりさん
花絆は素晴らしいです。

まだ、活躍されている方が
いらしゃると思いますけど
今までにコンサ-トとか
拝見させて頂いたかたを
応援させて頂きます✨😌✨
ありがとうございます。

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