私も知りたい栃木市の歴史を歩く


蔵の街・小江戸・と呼ばれ、

多くの観光客が訪れている。

現在も明治時代の見世蔵が残り

国有形文化財の指定が多い。

嘉右衛門町の例幣使街道の街並み

は伝統的建造物群保存地区として

昔の風景を残している。田村町

には古代の政庁である国庁の跡

があり、国史跡になっている。

岩舟町小野寺の大慈寺は

慈覚大師ら多くの名僧を輩出した

中世には宇都宮氏や小山氏の

ような大きな地域権力は生まれなかったが、皆川氏・西方氏や

下野島津氏の中小武士が生残りを

懸けて争いを繰り返した。

江戸時代になると、多くの

下野戦国大名が没落し、

栃木市域では幕府領・大名領

旗本領・寺社領が複雑に入り込み

栃木町は足利藩戸田氏の知行地

となり、旭町にあった栃木陣屋に

支配された。また、市内の農村は

江戸という巨大市場の生活用品の

供給地となり、栃木町は巴波川を

利用した水運の拠点として繁栄

した。明治時代には栃木県庁が

おかれ置かれ、政治・経済の

中心として発展したが、

県庁の宇都宮移転や東北新幹線が

開通したことで取り残されて

衰退した。

栃木市の前身栃木町は明治22年、

栃木町と栃木城内・嘉右衛門新田

・箱守・大杉新田・小平柳・片柳

・南部・沼和田・平井・風野の

各村と平柳村の一部が合併して

成立した。昭和12年に市制が

施行され、29年、大宮村・皆川村

・吹上村・寺尾村、32年に

国府村を編入した。平成22年、

下都賀郡大平町・藤岡町・都賀町

と合併し、翌年に西方町を、26年に岩舟町を編入した。現在の

栃木市は人工16万人位で栃木県

3番目の市である。広域化した

栃木市であるが、以外とその

歴史を知らない市民も多い。

「歴史は繰り返す」ギリシャの

歴史家ツキディデスの言葉である

そうです。私達は祖先が果たしてきたことを、客観的にとらえ直す

ことが心要である。歴史を正しく

みることは、私たちの未来を

考えるうえで重要である。

栃木市には市史や旧町史があり、

地域の歴史をしるには便利であるが、発行年次が古い市町村史は

その時代の成果であって現在の

研究レベルを反映しておらず、

「史」というよりも「誌」に

近いものもある。

参考文献は影山博先生の

とちぎ歴史をあるく。を借用しました。


ありがとうございます。

私がもう少し若い頃に本書を知りましたら、故郷を探訪したかった

高齢になり故郷が懐かしくなりました。

2024年4月30日投稿


栃木駅からの寺尾線の

バスの本数がもう少し多いと

私が若い頃は満員のバスに

車掌さんも、それに

永野、予州方面と出流山満願寺方面2路線良かったです。

そういえば、車掌さんと

結婚された知人がいて

しかも越谷のご近所どうし

とは、越谷市は栃木県の

方が多いので、でも最近は

親が栃木県と世代が若い世代になってきました。


演歌の好きな私は

栃木市出身の白根一男さん


栃木県には



栃木県塩谷町の偉大な作曲家

船村徹先生


また塩谷町は森山愛子ちゃんが

県立塩谷高等学校卒業校が

あった塩谷町だ。


花絆の野中さおりさん




最後までお読み頂きありがとうございます。