2021/12/2、20歳の誕生日おめでとうございます。
雪のように白く儚い柿崎芽実さん。あなたの季節だと思うと、肌を刺す冷たさも心地よく感じる今日この頃です。
あの幼げで爛漫な柿崎芽実さんがもうご成人、重ね重ね時の流れの無常さを感じる。最後にお姿を拝見できたのは芽実さんが17歳の頃。あれからもう2年半、あのときよりいっそうお綺麗になられているのだろうか。
柿崎芽実さんは日向坂にとってかけがえのない存在だった。長濱ねるさんが漢字欅兼任で不在の場面も多かったなかで、フォーメーションの中心にいた柿崎芽実さんの存在は言うまでもなく大きい。アイドルとしてとてもストイックで、何事にも全力で、妥協しない。メンバーへの思いやりも強い。そんな彼女がグループの先頭に立って走り続けたことは、ひらがなけやきの黎明期において精神的支柱となっていたはず。
芽実さんの卒業を乗り越えて、日向坂はとても強いグループになったと思う。しかし、だからこそ、芽実さんが日向坂を卒業しなかった世界線を考えてしまう。芽実さんのいる日向坂は更に強いグループだっただろうな、と。
これは言わば僕みたいな亡霊オタクにかけられたある種の呪い。どんなライブでも、どんなテレビ番組でも、「ここに芽実さんがいたら…」という想定が脳裏をよぎる。どれほど完成された作品だったとしても、それは芽実さんが居ないというその一点において未完成であるかのように見えてしまう。芽実さんの卒業はそれほどに惜しまれる。
高校3年生の秋に欅(けやき)坂と出会ってはや4年。大学受験の3日前に見た柿崎芽実さんと高瀬愛奈さんの配信がきっかけで高瀬愛奈推しになった。芽実さんのおかげで、いま自分は思いっきり高瀬愛奈推しのオタクをできている。感謝してもしきれない。
楽しい思い出も悲しい思い出も種々雑多ではあるが、今日に至るまで芽実さんの出身地・信州でオタクできたことを誇りに思う。もしかしたら三重県からわざわざ長野の大学に来たのも何かの縁だったのかもしれない。そう思うと、この地を離れることを今さら名残惜しく感じる。
人はつねに変わっていくもの。誰に何が起こるのか、いつだって分からない。自分が今後どんな人生を歩むかとか、いつ推しが卒業するかとか、一寸先は常に闇。しかし、そうして変わっていくものの儚さを認識して初めて、その美しさや尊さに気付く。だからこそ、追い続ける価値がある、推し続ける意味がある。
推しは推せるうちに推せ。
柿崎芽実さんは信州の誇り。これからも健やかに過ごされることを願っております。