ブログネタ:九州と言われてまず思い浮かぶ県
参加中
明治維新後、廃藩置県が進む中
地理的な有利さは熊本にありましたが
医学学校の誘致設立したことから
福岡は九州帝国大学の誘致を成功させ
九州の中心となる礎を築きました
日清戦争後の八幡製鉄から始まる北九州工業地帯の発展も
福岡を大きくさせたと言えるでしょう
しかし、江戸時代、幕末となると
どう考えても主役は長崎や鹿児島に持って行かれてしまいますね![]()
福岡のある筑前は大昔から支配者が次々と変わりました
江戸時代は通して福岡藩主の黒田氏でしたが、
その前は毛利元就の息子、小早川隆景と秀秋(養子で秀吉の義理の甥)
その以前の戦国時代は豊後の大友宗麟と毛利元就やその主君大内義隆
その他にも少弐氏という戦国大名によって支配された時期もあります
さらに古くは、都を追われた足利尊氏は福岡の多々良浜の合戦で
菊池武敏に起死回生の勝利を治め、朝敵の汚名を逃れた
それより前、菊池武敏の父、武時は鎌倉幕府の滅亡に呼応して
鎮西探題を攻め、小弐氏の裏切りによって、博多の町で討ち死にしている
南北朝時代は長く南朝側の拠点であったし
平家が落ちてきた土地でもある
思えば負け組みが集まる土地なのかもしれない
中大兄皇子が天智天皇となり、白村江の戦いで唐と新羅の軍に大敗した後
博多の港から20kmくらい後退した場所に大野城を拠点とする
巨大な水城を建設している
博多に隣接する町に唐人町という地域があるがのだが
当時そこは一種の植民地だったのかもしれない
信長と秀吉が堺の町を日本一の商業都市に育てるまでは
おそらく博多は世界有数の貿易都市で
この数限りない戦火の中、なんども焼け野原になりながらも
しぶとく再生したのは、博多の商人たちの自治意識が高次元にあったからで
それはフランシスコザビエルが残した手記の中にも残っている
それだけに、博多の人々には支配者に対する愛着は少なく
福岡城跡はあるけれど、福岡城は無い
元々、徳川家康に恭順の意を示すため、
初代藩主黒田長政が天守閣を廃したのだけれども
残された土地の大きさからすれば、姫路城にも匹敵する立派な天守閣で
福岡人にそれを再建してみたいという熱情がないのが残念でしかたない
また寺社仏閣にも、平清盛が勘定した櫛田神社や
源頼朝が開基となった聖福寺
謝国明が円爾を招いて建立した承天寺など歴史的なものが多い
それにもかかわらず、博多の人々はあまり興味がないのも事実だ![]()
そんなところへの観光客は日本人より外国人が多く
福岡はもっぱらショッピングの町として機能しているようです
その点、熊本は熊本城を愛し、歴史を愛しています
それは、鹿児島はもちろん長崎にも言えるところでしょう
経済的に中心であればいいという概念が強い点で
福岡は東京に似ているのかもしれませんね![]()
の営業マンの松隈さんに誘われて

と奥さんとふたりで話しました



