こんばんわ。フィリピン帰りの植木です。

学祭期間の休みを利用して、フィリピンのセブ島でダイビングして参りました。

これを一つの区切りとして、今から就職活動に精一杯取り組もうと思います。
本気だすよ!!!!

あと先生、任天堂のレポートはちゃんと出すのでもう少し待ってください。ごめんなさい。

あと、お土産とかはとくにありません。
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iPhoneからの投稿

上田です。

私の友人で商社マンの方より、下記のメッセージが届きましたので掲載します。「ゼミ生の就職活動が始まる」という私のメールに対して、ブログに掲載するための原稿を書いてくれました。


皆さんの参考になれば幸いです。


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私は1982年に商社に入社しました。現在ほどではないですが、1980-1982年頃の就職も結構、厳しく、緊張感を持って、就職活動した事を思い出します。上田先生は、早々に修士への道を決め、就職戦線に参戦せずであったと記憶しています。

当時は、現在の様に就活用サイトはありません。就活用のHow to本もありません。リクルートが送付してくる企業情報の本を基に、会社概要、会社の内容を研究した事を思い出します。当時、一番良いとされていた企業は金融機関と電力/ガス会社。その次が、鉄鋼会社、トヨタ(豊田自動車工業)、ソニー等の有力製造会社、商社であったと思います。時間を注ぎ込んだ会社研究は、会社選びにはあまり役に立たず、色々な面で、「縁がある」といる言葉が大事であった思います。結局、自分に合う縁があった会社に就職出来たと思っております。自分に取り「良い先輩がいる」、自分の目には「先輩が生き生きとしている」、「自由闊達に仕事をさせてくれる」という先輩のコメント。これらのOB訪問で得た情報を基に、企業を選び、面接に望んだ次第です。先輩の方も、「是非、コイツを採用したい」と思ってくれると、人事部の若手と合わせてくれたり、「面接解禁日の朝一番に面接に来い」という電話をくれました。当時は、面接試験解禁日が4年生の10月1日で、一週間程度で内々定が出て、11月1日に内定となったと記憶しています。10月以前のOB訪問は可というルールであったはずです。

この様に就活を行いつつ、大学時代に遣って来た事・今後への総括として「自分を見つめ直す作業」を行なっておりました。「自分は何者で、今後、どの様な世界で、どの様な事を行い、自分の未来を作っていくのか」という事を考えておりました。面接試験では、この際に考えた事を、面接官に説明したと記憶しています。結局、自分でも、当時、認識していなかった自分の思考方法に一番合った会社に採用され、思考方法が社風に合い、幸せな会社生活であると言えます。落としてくれた企業の人事部は、本人が気づいていなかった思考方法を間接的に見抜いていたのかも知れません、「社風に合わない」という事で。落としてくれた会社に感謝!

実は、当時、大学院に残る事も考えておりました。途中で、ゼミの内容に興味が持てず、計量経済、経営数学への興味が増し、ゼミの先生ではない教授に真剣に大学院への道の話を聞いておりました。今、思うと、その先生も困っていたと思います。確かに、経営数学はゼミ生より勉強したと思います。最終的には、家庭の状況を考慮し、就職する事に決定。

就職し入社10年目を超えた当りから、毎年、採用試験時期に、面接官をやれという依頼が人事部より来ます。面接官をやっていて思った事は「取りたいやつは誰が見ても取りたい」と言う事です。「是非、自分の部下として育て上げたいと思える子」です。採用したい子は、自分について良く考え、色々な事への興味を持ち、自分なりの考えを持っており、自分に自信を持っています(時々、過信である子もいますがこれは話をしていれば判ります)。就職の面接迄、時間はあります。是非、自分を見直し、自分の魅力を考え、自分に適した自信を持って下さい。

大企業も時代により変化します。倒産もあります。1982年当時、長期債発行銀行・都市銀行は15行ぐらいありましたが、現在、厳密に言うと世界で戦える日本の銀行は3行のみです。     総合商社も9社ありましたが、現在、総合商社と言えるのは5社のみです。それ以外の4社は4社共、銀行に債務免除して貰い、合併で3社になり、存在はしておりますが、総合商社とは言えない業態になっています。私のいる会社も1990年代後半に倒産するのではと思った時期がありました。当時、たまたま事業企画の仕事をしており、全社の財務状況を見れる立場に居た為、会社の業績の悪化を知っていました。当時の副社長が課長クラス20名程を集め、会社の問題点・反省点を説明していました。その副社長は延べ50回ぐらい同じ説明会を開催し、結果、全課長クラスに同じ問題認識を持たせようとしておりました。不動産投資の失敗、事業会社を千社も作ったが、儲かっている会社が少なく、事業投資合計で大きな損失を発生させていた。事業会社に派遣し、上手く経営出来る真の経営者も少なかった。その様な非常に厳しい状況下で、会社に取り、限られた資金を使い、新規投資を考える仕事をしておりました。色々考えあぐねた結果、「自分の金で投資しても良いと思える事業/会社にのみ、貴重な会社の金を使い、投資の推進をする」というものでした。巨額が必要な鉄鉱石事業投資は出来ませんでしたが、当時、使えた枠から現在の収益の一助になっている事業投資を推進出来た事が嬉しいです。

大企業以外にも良い会社はあります。それは成長性の高い/価値を作り出せる会社です。1982年当時、私が全く認識出来なかった会社に「日本電産」があります。もし、同社に就職していたとすると、永守社長の下で、さぞかし面白い仕事をする事が出来たのではと思います。あれだけの力を発揮するには、部下にも厳しい方でしょうが、御自身には一番厳しい方のはず。部下として支えるのも大変でありますが、遣り甲斐はあると思います。1982年当時、全く判らなかった日本電産。今、第二の日本電産を捜す事は出来ませんか?日本の世の中を見て、今後、「おおばけ」する可能性のある会社に就職するのも一案です。但し、これは会社研究の成果が問われます。大学生に、企業の成長性の判定はなかなか難しいと思います。もし、皆さんの回りに、日本/世界の企業の動きを良く判っている私と同年輩のビジネスマンがいれば、将来、成長する会社について、質問し、話を聞いて見ては? その上で自分で研究し、実行/就職する?

将来性のある/ 価値を作り出せる日本企業を捜して見ては? 又は、視点を変えて、今、タイへ初めての進出を考えている日本企業はどうですか? 苦労はすると思いますが、遣り甲斐はあると思います。                            更に、日本企業だけに目を向けず、タイを始め、全世界の企業に目を向けては如何ですか?        

震災の影響及び日本中のデフレマインド、加えて、就活の困難さから、男子学生の諸君は内向きになっていませんか? 今後の日本がけしてバラ色とは言えませんが、ここは前向きに考え、就職を考え直してはどうですか? 大企業への就職が彼方/貴女の人生をバラ色にはしてくれません。大企業でも中小企業でも、要は、彼方/貴女が何をするか? 何が出来るかです。

就活は30年前の話であり、現在とは全く違うかもしれません。何かの参考になれば、望外の喜びです。皆様の飛躍を祈っております。

追記: NPV/IRRとか何か判りますか? 判れば結構。もし判らない方がいれば、卒業迄に勉強して下さい。将来のどこかで使う基本概念です。上田先生、もしゼミで教えていないのであれば、この概念をゼミ生に理解して貰える様に、ゼミで3時間、講義戴けると幸いです。