児童虐待死について
本当にひどい。
むかつきを感じる。
痛ましい事件を起こした両親に、はらわたが煮えくりかえる。
しかし。
どんな思いで産み育てたんだろう。
結愛と名付けたんだろう。
いつからそんな風になっていったんだろう。
再婚した旦那はどんな人だったんだろう。
どんな理想や哲学があったんだろうか。
思い通りにいかないことと、夫や妻はどう向き合っていたんだろう。
自分も結婚し人の親にもなった身。
ひどい話にとてつもなく悲しい気持ちになるが、
すべて他人事とは思えない。
自分にも可能性がある。
幸運にもそうなっていないのは、妻のおかげだと思う。
それでも。
まさか自分が。
自分には関係のないこと。
と思うようなことが、往々にして自分に起こることを知っている。
虐待をする側かも知れない。
虐待の疑いを見つける側かも知れない。
どうすればこんなことにならないだろう。
友達について
むかしむかし、恋人にフラれたという人を誘って飲みに行きました。
元気出せよという訳ではないけども、まぁ話聞くよと飲みに行きました。
で、なんだかんだ話したあとでその人が言いました。
「友達がほとんどいない」と。
「2、3人」と。
え?
衝撃でした。
おいおい、いるじゃないかと。
こないだの稽古場でのみんなとのやりとりは?
SNSやblogでも繋がってる人いっぱいおるやん。
小中高とクラスや部活の仲間がおるやろと。
同期やこれまでの共演者もたくさんおるやろと。
自分も年齢的にはそんな離れてないし友達じゃないんかい?と。
寂しいこと言うなよと。
なにか引っかかりました。
でも。
数年経つうちに、たしかにそうかもなぁと思うようになりました。
うん。
友達ってなんなんですかね?
なにをどうすれば友達なんすかね?
どこからどこまでが友達って括りにカウントできるんですかね?
全然否定的な意味じゃなくて、純粋に謎です。
人により、関係により、年月や距離により、様々に友達模様があるんだろうけど、
友達ってのはずいぶん曖昧なもんやなぁと思います。
自分が友達だと思っていても、むこうはそう思ってないかも知れんし。
自分は友達だと思ってなくても、むこうは友達だと思ってるかも知れないし。
そんなことを書いていて、ふと。
そういえば昔、友達とか仲間とかがよく分からなかったなぁ、と思い出しました。
友達、同期、親友、友人、知人、知り合い、同志、仲間、腐れ縁。
誰がどれだか分かんない。
分かんないけど、自分が死んだときに泣いてくれる人がいたらいいなぁ。
誰か泣いてくれるかなぁ。
誰が泣いてくれるかなぁ。
親は泣いてくれるかなぁ。
僕はその人が死んだら泣くかなぁ。
ポーズじゃなくてで、自制もできずに、
どうにも堪え切れなくて涙が出てくるのかなぁ。
そんな風なことを思っていた時期があったことを思い出しました。
素直ということ
素直っていいなぁと思います。
さてしかし、素直ってどういうことなんですかね?
たとえば好きな人に好きだと伝えることは、うん、素直だな。
でも、好きな人に好きと言えないなかにも、素直があると思います。
誰に対して、なにに対して
が違うのかなぁ。
相手に対して素直ならば「好きです」
自分の照れる気持ちに素直なら「・・・」と黙したり、小学3年男子よろしく意地悪したり。
自分から好きだと告白する事に小さな敗北感を感じてるなら、どうするだろ?
ケガをしたときにケガをしたというか、
ううん大丈夫というか。
寝起きの電話に寝てたーというか、
ううん起きてたよーというか。
謝らないか、
ゴメンと言うか。
素直は好きだけど、率直も好きだなぁ。
なかなか難しいけど、
できるだけそうありたいなぁ。
