サッカー元日本代表FW岡崎慎司(37)=ベルギー1部・シントトロイデン=が、今季限りでの現役引退

サッカー元日本代表FW岡崎慎司(37)=ベルギー1部・シントトロイデン=が、今季限りでの現役引退を決断したことが25日、分かった。近日中にも発表される見込み。日本代表として歴代3位の50ゴール、レスターでのプレミアリーグ優勝など、華々しい結果を残すために、誰より泥くさくピッチを走り続けた日本屈指のストライカー。ゴールにこだわり続けた約20年にわたるプロ生活に終止符を打つ。 【写真】W杯出場を決めるヘッドを決める 岡崎の名シーン * * * * *  日本サッカー史にその名を刻んだストライカーが、ピッチに別れを告げる時がきた。関係者の話を総合すると、岡崎はすでに今季限りでの現役引退を決断。近年は欧州でのプレーにこだわり、ベルギーでプレーしていたが、出場機会は減っていた。滝川二高から清水に加入した2005年に始まった約20年にわたる長いプロ生活に、今季限りで区切りをつけることを決めたという。  強い心を持っていた。プロ入り当初は清水のFW8人中8番手で「なんで俺はこんなに下手なんだ、って思ってやっていた」と振り返る。ポジションがなく、サイドバックへの転向を検討された時期もあったが、けが人が出たこともあり数少ないチャンスをつかむと、クロスに頭から飛び込む、代名詞の「ダイビングヘッド」など独自のスタイルで頭角を現した。  年を追うごとに洗練された得点感覚は、活躍の場を欧州に移した後も、いかんなく発揮された。ドイツ1部・マインツでは13―14シーズンに15ゴール。この活躍で世界最高峰のプレミアリーグ・レスター移籍を勝ち取った。レスターでは献身的なプレーでチームを支え、ゴール数こそ伸びなかったが、15―16年シーズンにクラブ創立132年で初の優勝に貢献した。“ミラクル・レスター”の一員として見せたその活躍は「陰のヒーロー」とたたえられた。  日本代表としてのハイライトは3度のW杯出場。10年南アフリカW杯1次リーグ・デンマーク戦、14年ブラジルW杯の同コロンビア戦で挙げたゴールが記憶に残る。その勝負強さは、同時代にチームの核だった本田圭佑の37点を上回る代表通算50点という数字が物語る。場所を問わず、チームのために走り、最も点を取れる場所に飛び込む。「岡ちゃん」と愛されたその人柄も相まって、チームメートやファンに愛され続けた。  体が大きいわけでも、足が速いわけでも、技術が飛び抜けていたわけでもないが、残した数字は日本サッカー最高峰のストライカーだった。記録にも、ファンの記憶にも名を刻んだ“侍ストライカー”が、長い旅を終えて新たなスタートを切る。  ◆岡崎慎司列伝  ▽日本代表 歴代3位の50得点の得点試合は親善試合が15、公式戦が22(うちW杯予選11、W杯本大会2)。南アフリカW杯出場を決めた09年6月の最終予選ウズベキスタン戦(1〇0)の決勝点のように大事な試合での勝負強さも光った。またハットトリック3回、2得点7回と固め打ちも多かった。  ▽ミラクル・レスター 2015―16年シーズンに加入したイングランド・プレミアリーグのレスターでは主力として、シーズン前の英ブックメーカーの優勝オッズ5001倍、選手年俸総額リーグ17位のチームで奇跡の優勝を達成。世界最高峰リーグで優勝した日本人は、アーセナルの稲本、マンチェスターUの香川に続く3人目(当時)だった。  ▽座右の銘 宝塚ジュニア時代の指導者から贈られた「人生一生ダイビングヘッド」。代表最後の得点となった18年ロシアW杯アジア最終予選のタイ戦での通算50点目も代名詞のダイビングヘッドで決めている。  ▽各リーグでシーズン日本人最多得点 13―14年のドイツ1部マインツでは15得点を記録し、17―18年にはレスターで当時の日本人最多タイの6得点(現在は三笘の7得点)。19―20年シーズンのスペイン2部ウエスカでは同リーグ日本人シーズン最多となる12得点をマーク。  ◆岡崎 慎司(おかざき・しんじ)1986年4月16日、兵庫県生まれ。37歳。滝川二高から2005年にJ1清水入り。11年にドイツ1部シュツットガルト移籍。13年夏に移籍した同マインツでは2季連続2ケタ得点。15年夏に英プレミアリーグのレスターに移籍し、15―16季のリーグ制覇に貢献。19年夏にスペイン2部ウエスカに加入し、1部昇格に貢献。21年夏から同2部カルタヘナ、22年夏にベルギー1部シントトロイデンに加入。日本代表では国際Aマッチ歴代5位の通算119試合、同3位の50得点。174センチ、76キロ。