なんだか「詭弁」というと邪悪に聞こえますから「レトリック」と言い換えてもいい。これだと洗練さが醸し出されます。
実のところは両者の違いって?、、、つまり「言葉は黒魔術」なのであり、巧みな言語(書くことや喋ること)の使い手とは黒魔術師に他ならない。
我々は意識的ながらも無意識に詭弁を弄しています。

虚偽の定言は論外であるが、丸い卵も切りようで四角、物もいいようでナントヤラというではないか(^^)


スカーレットオハラは決して美人ではないが魅惑的であり、、

スカーレットオハラは魅惑的ながらも美人とは言えない、、


大久保康雄さんの邦訳(風と共に去りぬの冒頭)が前者である。仮に後者のように訳したとしても(原文がどうだか知らないが)意味するところはまずまず同じだが、ニュアンスがかなり変わってくる。

我々だって虚偽ではない事実を定言しながらも「意見なり主張」を裏側に潜めることはままある、、どころも毎度当たり前。事実と価値判断の峻別なんて所詮は無理。



自分の価値観のフィールドに相手を立たせることが論争(会話も然り)を優位に進めるための第一歩。詭弁なりレトリックはそのためのツールなりテクニック。

最初から偏向した価値判断を振りかざせば、中立の人だって逃げ出すに違いないからオブラートに包みながら無意識的な誘導って



人質をとり無理難題を要求するテロリストたち。要求に応じないと人質の生命に危険が、、、、


国家のメンツと国民の命のどちらが大事なんですか? 

なんて悲痛な叫び....に素直に耳を傾けてはならない。それはアウェーの世界だし、、、まさかメンツが大事なんて強権国家ですら口にするのを憚る。

だから「定言」を言い換えて問いかえそう


テロリストの卑劣な要求に屈することと屈しないことのどちらが正義だと考えますか?


ホームで戦うとはそういうこと

問いかえされた方は怒りに身が震えるだろうなあ

曰く、、、議論のすり替え、詭弁に他ならない!!

しかし、この定言の順番を逆にしても同じ反論が成り立つのですよ。


論争とはそんなものです。

今日の教訓は、、、


期待回答それ自体を設問に(顕潜は別にして)内在していれば、すかさず「詭弁だ!」と.....

例として

あなたは平和憲法の改悪に賛成しますか?