日本共産党第29回大会決議案への意見 | 日本と大分と指原莉乃の左翼的考察|ケンケンのブログ

日本共産党第29回大会決議案への意見

 「130%の党」づくりは、1990年代初頭までは、恒常的に掲げられた目標だった。その後、過大な目標設定はかえって党員の意欲を削ぐ、という認識に立って前面に掲げるのをやめたと解釈している。

 この30年ほどの間、さまざまな党勢拡大の方策が試行錯誤されたが、党勢の衰微傾向は打破できず、一周回って「130%の党」づくりという目標に回帰したこと自体を誤りと断ずることはできない。

 問題は党機関の政治指導の力量が質としても人員としても足りない、ということであると。同時に政治指導の力量を向上させることの模索も努力もしたうえでの現状で、有効な方策・方法・手法は未確立と言わざるを得ない。

 率直に言って、あいかわらず、精神主義や命令的行政的指導が、中央決定に何が書いてあるかにかかわりなどなく繰り返されている。

 その克服の方途を党批判者が示しているわけでもない。

 党勢が前進しないのは、党と党員の努力不足にあるのではない。がんばっているのに前進できないのである。

 どうすればいいのかの決定的方策を私が提案できるわけではない。どこかに力の集中をはかるのも困難な、私の所属組織の状況には出口が見えないように見える。党勢が衰勢に転じてからの40年ほどの間にさまざまな基本方針の提示や試行錯誤の中にヒントはあるだろうが特効薬があるわけではない。

 党勢拡大は、さまざまな課題を解決する中でしか大幅な前進ができない総合的な事業であるが、その困難さを中央も共有していることを機関・支部・党員が実感できるような「言葉」が必要なのではないか。党中央は万能ではなく、ともに苦悩する同志であることを表現することもときに必要なのではないか。

 日本共産党も日本社会に生きる日本人の集団であり、変革すべき社会の害悪が当然に党内にもあらわれる。権力機関や大企業に求める人権や個人の尊厳の保障のための措置の一部は党機関においても必要である。

 『前衛』2023年7〜9月号掲載の大和田敢太「ハラスメント根絶のために」では、その提言の1つに「必要に応じて、外部専門組織や専門家を活用することも検討すべき」としている。すぐにできる第一歩として、規律委員会や訴願委員会への専門家の参加を求める。さらに専門家機関の設置と活用まで大会決議で踏み込むことも求めたい。

 民主集中制について語るとき、2000年の規約改定の前と後では、組織の運用の実情がどれだけ変化したかもできる限りで説明した方がいいと思う。1990年代以降の、国民に開かれた党となるための努力を語り、その到達とともに課題を示す必要がある。その変化が党員にすら自覚されていないことが、「開かれた党」にふさわしい党員の意識の変化を妨げていると思う。