【参院大分補選】 #白坂亜紀 さんって歴史修正主義者なんよね | 日本と大分と指原莉乃の左翼的考察|ケンケンのブログ

【参院大分補選】 #白坂亜紀 さんって歴史修正主義者なんよね

参議院大分補欠選挙で、自民公認で立候補予定の白坂亜紀さんについては、以前の記事でも取り上げた。

 

 

 

立憲民主党は、吉田忠智さん擁立を決めた。何らかの形で野党共闘も成立しそうな状況だと思われる。

 

 

 

さて、ここでもう少し紹介したいのは、自民の白坂氏の政治思想だ。ジェンダー観については前のエントリーで触れたが、ここでは、ケント・ギルバート氏との対談本である。

本を読む余裕はないが、宣伝用の記事だけでも参照すればだいたいはわかる。歴史修正主義や嫌韓を主張した著書でビジネス右翼をやっているケント・ギルバート氏との対談本というだけでじゅうぶんなくらいだ。

 

まずは Amazonのkindle版での宣伝文

「日教組の反日的な教育を受けて傷ついた子ども時代の記憶、日本人として自国を誇ることの大切さ、正しい歴史観などについて、ケント氏に教えを請います」

 

次にPR用のサイトに出版社が寄稿したもの

 

 

「白坂氏には、ひとつ大きなトラウマがありました。
小学校時代、夏休み中にもかかわらず、毎年、原爆の日には登校し、非常に反日的な授業を受けなければなりませんでした。日本人は周囲の国々に対し、どれだけ残虐な行為を働いたのか……。その陰惨な授業が、胸の内に棘のようにささっていたのです」

 

もう一つ、ケント・ギルバート氏のYouTubeチャンネルの番組に本の宣伝として白坂氏が出演し、本について語っていて、やはり同趣旨の発言をしている。

 

 

ここでは、「自虐史観」という用語も登場し、明らかに、ケント・ギルバート氏と白坂氏の対談本は、歴史修正主義と嫌韓・嫌中を語り合っている、と思われる。

やり手の女性経営者の銀座のママとしての白坂亜紀氏には一定の知名度はあっても、歴史修正主義者としては知られていない。そして、大分県の国政選挙で、公然たる歴史修正主義者は選挙に弱い。それはたぶん歴史修正主義への批判などではなく、大分県の歴史修正主義者は選挙で頭を下げることが上手ではない、ということが要因だと思う。だが、それは歴史修正主義者の体質からにおうものを大分県民が嫌う、ということではないか?

 

大分県では、8月6日の広島原爆の日は小中学生の登校日とされ、平和授業を行う。それはもちろん、日教組加盟の大分県教組の取り組みから生まれた慣行だ。ただ、それは大分県教育委員会や各地教委も協力して行われる県民合意のような取り組みである。保守本流の広瀬勝貞現知事も、この慣行に肯定的な答弁を議会でしている。

 

 

白坂氏は1966年生まれで、僕の2つ年上で、年代は近い。僕の受けた平和教育で、旧日本軍の加害の歴史を扱った記憶はない。あのころはまだ被害の実態のほうが中心だった。僕は1984年に中学を卒業しているが、平和教育で加害の歴史に踏み込んでいくのは、80年代後半以降のことで、それが90年代半ばから激しく右翼勢力からの攻撃にさらされるのである。僕は中学生のころ、加害の歴史について自分ですごく勉強したが、それは学校で教わったものではなかったと記憶する。ただ、竹田市の教員に先進的に加害の歴史を取り上げた方がいた可能性はあるだろう。

平和教育には、学習指導要領も教科書もない。その内容は全面的に教員の自発性にまかされる。

 

8月6日に投稿して平和授業を受ける、というのは子どもにとって確かに負担だった。僕のようにまともに受け止めて自分での勉強に踏み出した者もごく少数派だったと思う。しかし、大人になって回顧したとき、「あれは日教組教育」と否定的に言う人びともいることはいるだろうが、その割合は高くない、というのが僕の体感である。

今や8月6日や8月9日が何の日かは知らない人々のほうが日本人の多数派である。それ自体は相対的にどうでもいいことだと思うが、大分県出身者に関してはくそ暑い中での平和授業の思い出とともに原爆の日の日付も記憶される。それは決して悪いことではない、と思っている方が大分県出身者の多数派なのではないかと、僕は感じている。

 

歴史修正主義の最大の問題は、史実を否認することである。史実を願望によって置き換えようとすることだ。それは史実をどう評価するのか、とは別の問題がある。

 

それにしても、個人的に気になるのは、1966年は「丙午」だということだ。「丙午の女」についての迷信は、出生数に大きく影響し、1966年生まれの人々はその前後の年と比較して約5%も少ない。そして、僕の2つ上の先輩は個人的知見だが中学時代にすごく荒れていた。それには丙午の迷信で、妊娠中絶の寸前にいた人々の割合が高く、それはその後の子育てにある程度影響したのではないか、と僕は推測している。

ほかならぬ「丙午の女」の白坂亜紀氏の人生に、この迷信が与えた影響に、僕は強い関心があるが、それに白坂氏自身が自覚的だったり意識的だったりするかどうかはわからない。