藤田健赤旗編集局次長の松竹信幸氏批判論文について | 日本と大分と指原莉乃の左翼的考察|ケンケンのブログ

藤田健赤旗編集局次長の松竹信幸氏批判論文について

藤田健赤旗編集局次長の松竹信幸氏批判論文が「しんぶん赤旗」121日付に掲載された。




現時点では、赤旗編集局が日本共産党中央を代表する立場として藤田論文は書かれていることを志位和夫幹部会委員長も確認している。




藤田論文は、「党首公選」の主張を党外で展開したことをもって、「党内問題」を党外に持ち出すものとし、規約違反だとしているが、規約解釈として粗雑である。

松竹氏がどう論じているかを承知していないが、幹部会委員長にせよ、中央委員会議長にせよ、現行規約では中央委員会で選出することになっており、党首公選には規約改正が必要になる。

松竹氏の主張は、規約改正の主張である。党員が、規約改正を求める行為は確かに党内問題だが、言論として規約改正の是非や規約改正の方向性を論じることは、果たして党内問題だろうか。

ましてや、規約は党の決定の中でも最も重い決定だから「党の決定に反する意見を勝手に発表することはしない」に該当するとは、党運営のルールを党外で批判してはならない、とするもので、規約解釈として誤っている。

この規定は、個々の党員が党外で党決定と異なる見解を流布して、党の統一と団結を乱すことを禁止する規定である。かつては細々とした点について、党員の党外での発言について点検した時代もあったが、私の知る限り、2000年の規約改定以降は、党攻撃をしない限りで、党決定と異なる意見の公表を黙認する規約運用をとってきた。その運用は正しいと考える。すなわち、微に入り細に入り党員の個人としての言動を統制することは、党員の個人としての活動を抑制・減殺する効果を持ち、それらは党の不団結をもたらさない限りで容認・黙認されるべきで、それが全体として規約の精神に適うからだと考える。

もちろん、SNSの時代になって、党員の中には公然たる党攻撃をする人々もあらわれ、それらを党組織がチェックしきれない実情を、私は肯定しているわけではない。

松竹氏の言動について、党外で自らの見解を表明することで、党内外での自らの見解への賛同を募ろうという点については、規約違反を問題にしてしかるべきだが、規約の不十分点を指摘し、改善提案として規約改正を主張するところまでをも規約違反とするべきではない。

日本共産党はもちろん公党であり、その規約の規定の内容や運用実態は、公的な事柄であり、ゆえに党外の人々が規約や民主集中制をめぐってそれぞれに発言をしているのは、言論によって解決されることである。問題は、党員であれば、党外の人々のそうした議論に、規約を擁護する立場でしか参加すべきでない、という藤田論文の論は、果たして、規約が定める党員の義務の解釈として妥当なのか、ということである。少なくとも藤田論文のように単純に「規約違反」だと論断すべき問題ではないと考える。

すなわち、規約の内容について検討し、その内容の利害得失を論じ、内容に問題があるとして改正の必要性を党外の場で論じることそれ自体は、党員であることによって制約を受けるべきではない。それは党内問題ではないからだ。また、一党員と役職者では、その重みも役職に応じて変わってしかるべきだが、松竹氏はもちろん一党員である。

規約は、もちろん党運営のルールと規範を定めるものであり、党員や党組織の権利義務関係を定めるものである。それを党決定であるがゆえに、党員は党外で批判的論評をしてはならない、というの暴論というべきである。

規約運用の実態についても、具体的に論じれば党内問題を含むかもしれず、注意を要するが、具体的な党内問題に言及しない形で、規約の規定に内在する運用上の危惧を指摘し、危惧される運用をしないように求める言論は、党内問題を党外に持ち出すことに当たらないと解すべきである。


一応、党首公選についての私の見解を明らかにすると、党首公選制度は、分派を奨励するもので、分派を禁止する規約の規定と矛盾する、という、藤田論文と立場を同じくしている。私自身は松竹氏の主張に反対である。


また、藤田論文は松竹氏が党首公選への「立候補表明」の旗印とする安全保障政策の内容について、「綱領からの逸脱は明らか」としているが、これも論として粗雑にすぎる。

松竹氏は、綱領や党決定の解釈の一つのあり方として、自論を提出している。それが綱領や党決定の解釈として正しいかどうかには議論の余地があるが、「逸脱は明らか」と言えるほどのものではない。

松竹氏の安全保障論の特徴は、党中央が問題の性格から、細部まで明らかにすべきでない、と判断している事柄について、細部までの詳細を論及すべきという立場から立ち入って論じていることである。

国民世論との関係はもちろん、安保条約破棄の主張や自衛隊違憲論を他の立憲野党がとっていない状況では、野党共闘が一定の合意の下で再構築されるとしても、安保条約と自衛隊をめぐる、綱領の規定と野党間合意には一定の懸隔は不可避である。その状況の中で、日本共産党としては当面、どういう政策をとるべきかの綱領解釈の余地は広く、松竹氏の解釈は成立し得ると考える。これは松竹氏の主張への賛否とは別次元のことである。


私自身は、現在の党中央がとっている安全保障政策が正しいと考えるが、それが綱領解釈として唯一のものではあり得ない。松竹氏の安全保障政策での主張の是非は、党中央が現在とっている安全保障政策との違いを明らかにしながら、その政策的妥当性を論じるのならまだしも、「綱領からの逸脱は明らか」とか「長い間党に在籍しながら、綱領を真剣に学んだことがあるのでしょうか」とかの漫罵は粗雑にすぎるものである。