過熱も残酷も「ほどほど」のAKB48選抜総選挙を | 日本と大分と指原莉乃の左翼的考察|ケンケンのブログ

過熱も残酷も「ほどほど」のAKB48選抜総選挙を

AKB48グループは、2019年のAKB48選抜総選挙の開催を見送った。
これは英断だと思う。全面的に賛成だ。



われらが指原莉乃ちゃんが、「総選挙」連覇し3度目の1位になった頃から、メンバーの「総選挙」不出馬や「最後の立候補」表明が、「総選挙」結果の上位者を含めて目立つようになり、メンバーにもファンにも無理がかかりすぎていることがあらわになっていた。
2018年の「総選挙」では、上位者を含めて何人ものメンバーが健康を崩し、「1位さま」松井珠理奈にいたっては、数ヶ月間の休養に追い込まれる事態に陥った。
NGT48の事件も、運営会社AKSは次々に失態を演じ、山口真帆ちゃんと泥沼化した挙句、まほほんの卒業を招く、という解決にはほど遠い現状だ。
NGT事件の現状だけでも、正直、「総選挙」をやってる場合ではない状況だ。

今は、「総選挙」をやらず、AKB48グループの第3章(僕自身は、前田敦子・大島優子の卒業と指原莉乃の最初の1位から「第2章」だと考えている。総監督の交代も発表されたことだし、莉乃ちゃんの卒業で第2章は終わるとする)はどうあるべきなのか、運営、メンバー、ファンがそれぞれの立場で、意見と知恵を出し合い、模索と試行錯誤をするときだと思う。その中、「総選挙」についても再開すべきか否か、再考するべきだと思う。

運営がどういう根拠と理由で、「総選挙」開催見送りの結論に至ったのか、何も述べられてはいない。10回総選挙をやったから、という言葉には再びやることはない、と読めなくもないが示唆した程度なので、再開するのに障害になるほどのものでもない。

良くも悪くも「AKB総選挙」はAKBのメンバーと経営の駆動力となってきた。AKBヲタといってもいろいろだが、「総選挙」好きのヲタは、今をときめく坂道シリーズについて、「総選挙もやらないで、選抜とか序列とかは運営が決めるんでしょ?干されメンバーはずっと浮かばないままなんじゃない?」とつい思ってしまう。
しかし、坂道シリーズのファンは、「総選挙」のような野蛮なことをやらないところも愛すべきポイントであるらしい。

われらが指原莉乃は、卒業にあたって「総選挙を楽しみにした唯一のメンバー」を自称し、「総選挙がないのは寂しい」ともコメントした。
前者については、今や誰の目にも明らかになった強心臓もあるが、自己客観視というよりはずっと醒めた、傍観者の目線もある。「総選挙」が見せる、いろいろな異様な場面が面白くて仕方がない、という完全なヲタ目線が、当事者=メンバー目線と並存している。

指原の「総選挙」をめぐる言説は多面的だ。「総選挙」をテコとしてのし上がった「三連覇さま」「永世女王」の「常勝指原」は、もちろん「総選挙」をネガティブには捉えていない。メンバーとファンとの共同事業として「総選挙」の「選挙対策」ももちろんポジティブにもとらえている。
同時に、「総選挙」がメンバーやファンに重い重い重い負荷をもたらしていることを心配する言動も繰り返しとっている。
そして、前述のようにヲタ目線として、総選挙で起こるいろんなものを見てみたい、という言動も繰り返しとっている。

とにかく、一旦はやめねばならないくらいには、「AKB総選挙」は過熱した。AKB48グループの人気や注目度が下降線をたどっているにもかかわらず、総投票数は増え続け、一般層の投票参加の比重が低下し、「ヲタの選挙」の比重が高まるほど、弊害の方が目立つこととなる。
ヲタやファンは、「総選挙」の見送りを機に、一旦、頭を冷やして、「総選挙」を今後、どうすべきかを考える必要がある。

ここで指摘したいのは、既存の「総選挙」をやるかやらないかの二者択一ではない、ということだ。改革された「総選挙」をやる、という考え方もあり、1人1票制を軸とした改革提案はわりとシンプルな改革案として提示するヲタもいる。
僕が基本にしたいのは「過熱も残酷さもほどほどのAKB総選挙」という考え方だ。
最適な「総選挙」システムなどはあり得ない。どの「一長一短」が、メンバーとファンが幸せになるのかを運営やそれぞれのファンが考えるのだ。
1人1票制にしても、1人の投票数制限にしても、それなりに盛り上がりを制限する効果がある。ファンが過熱することで生まれた狂騒こそ、祝祭としての「総選挙」の熱狂や悲喜劇をつくりだしてきた。熱狂の抑制で、弊害を小さくすることが重要だと考えれば、1人1票制や1人当たり投票数の制限をすればいい。その代わりの面白い仕掛けができるのなら、それもありなのではないか。誰かのブログでの提案にあった、本支店グループ対抗の団体戦の要素を入れることで個人戦を緩和するのはいい考えだと思う。「ペナントレース」は複雑すぎたし、ライブをたくさんやるとポイントが稼げることになっていたためにHKTが勝負にならないほど独走したとかがあって中止になったが、ファンの納得する公正さでもって多面的にグループとメンバーが得点していくことで順位づけをしていくのもあり得る。そのときは、平常点の下位メンバーの一発逆転が可能な仕掛けを用意しないと面白くならないし、「総選挙」の代替たり得ないが、結局、それまでの「総選挙」を復活させるだけのことにもなりかねない。
「AKB総選挙」の特性は、むき出しの金権選挙というルールの透明性にあった。市場原理の残酷さを可視化するゲームであった。

「AKB総選挙」は、なくしてしまうには惜しいが、その過度の残酷さも座視できない。ファンとメンバーと運営とで、よりましな一長一短のシステムを模索するべきだ。