徳島県が、青少年健全育成条例の改正を予定しています。 ←リンク


 内容としては青少年審議会と、青少年問題協議会を統合し、青少年審議会に一元化するものだそうです。

 これ自体は、東京都や大阪府のような表現規制を直接に目指すものではありませんが、個人的に思うところがあるので、意見を送ることにします。


 で、参考のために掲載してみます。

 個人的な意見が多いので、あんまり参考にはならないと思いますが。

 前に埼玉県知事に送ったものの焼き直しもあるし。

 ・・・まぁ、パブコメへの回答で、わずかながらいろいろ言質が取れれば・・・と。


↓以下、提出意見


*  *  *  *  *  *  *  *


●「徳島県青少年健全育成条例の改正について(案)」について、次のとおり意見を申述します。



(1)
青少年審議会の人選にあたって、「文学・漫画学・青少年のサブカルチャー・青少年の非行や自殺等を実地に研究する者」を加えることを条例に明記するべきです。


 審議会の委員の人選にあたって、現在は「学識経験者」を加えることが定められていますが、これに加えて、文学・漫画学・青少年のサブカルチャー・青少年の非行や自殺等を実地に研究する者を加えることを、委員に関する条文に「青少年の文化・風俗について実地に調査・研究をしている者」等の文言によって条文中に明記するべきです。


 現在、全国の都道府県で行われている青少年審議会においては、県職員や審議会委員の見識が青少年の実態を正確に認識しているとは思えない議事進行や発言が多く見られ、自身の想像や、報道等によって得た知識のみをもとにしたり、自身の青少年時代の価値観に照らし合わせて意見を述べる例も散見されます。


 しかし、これでは、時代の急激な変化とともに変わりゆく青少年の実態を正確に把握することが出来ず、青少年の置かれている現状に対して、青少年審議会が「現況・実態と著しく乖離している」結論を出す例が少なくありません。


 特に、自殺問題やひきこもり問題において委員より、「気合いや根性がたりないからだ」等のような精神論に固執する意見が出される例がしばしばあります。これでは、真の実態把握や原因究明の議論を阻害する要因になり得ます。



 このような弊害は、とくに有害図書類の個別指定において顕著です。


 近年、コンテンツ業界は多様化し、その表現形態も多様化しています。

 たとえば「主人公は作中で暴力行為や犯罪行為を行い、賛美しているが、それはそのような行為を敢えて肯定的に描写することで、読者にその是非を問いかけている。作者の作品における意図は、暴力の否定である」というような作品も少なくありません。


 そのような表現技法をとった作品で、その内容が絶賛されたり、海外から高い評価もうけた作品が、青少年の残虐性を助長する等の理由で、有害図書類として指定されている例が他県では散見されます。


 これらについて市井では、「行政は作品の主題を読む能力がないのではないか」「行政がコンテンツ産業の足を無駄に引っ張っている」等の、失笑に近い批判が起きています。

 漫画評論や漫画史研究の書籍でも、「行政の無理解」「市民・若者感覚と、審議会委員の感覚の乖離」として、批判されていることが少なくありません。


 徳島県において、このような事態が起きると、行政及び有害図書制度への信頼感を失うばかりか、行政のサブカルチャーへの無理解の露呈であり、恥ずべきものとなります。


 特に、「どうせ有害図書類に指定されたって、作品を読解する能力がない行政と青少年審議会が適当に指定したものなのだから、あてにならない」という認識が市井に広がると、有害図書類の指定制度に対する信用が根底から揺らぐ事態になりかねません。現に、他県による前述のような有害図書指定のせいで、有害図書類の指定制度に対する疑問の声は起きつつあります。


 これらは、コンテンツが時代とともにめまぐるしく発展しているにも関わらず、青少年審議会において、それを把握している文学や漫画学、青少年のサブカルチャーに明るい専門家が誰もいないため、諮問作品の文化的位置づけや、現に青少年が諮問作品をどのように解釈しているかについての議論が全くなされていないことに起因すると思料します。


 青少年問題を正確に把握し、青少年の実態に基づいた議論を行い、真に効果的な施策を立案し、青少年行政に対する不信感が醸成される事態を防遏するために、みだしの盛り込みは、絶対に行うべきです。



●条例改正にあわせて、青少年健全育成条例の以下の項目を修正するべきです。


(1)
「有害図書類」及び「有害がん具」という名称を、たとえば「年齢制限図書」及び「年齢制限がん具」というような名称に変更するべきです。


 たとえば有害図書とは、「青少年に有害な図書類」の略称ですが、その名前から、「存在そのものが有害な図書類」と誤解されるおそれがあります。


 これでは、「性表現や暴力表現そのものが有害であり、排除・弾圧すべき対象である」という偏見を生み出しかねません。
 それは、徳島県青少年健全育成条例第2条「この条例は、前条の目的を達成するためにのみ適用するものであつて、いやしくもこれを拡張して解釈し、県民の自由と権利を不当に制限するようなことがあつてはならない。」と定められた条例の趣旨に反するものです。


 加えて、表現・コンテンツの多様化によって、有害図書として発表された作品の中から、その内容が評価されて、表現内容をアレンジした上で他のメディアに移植されたり、海外に翻訳される作品が出てくるようになりました。


 さらに、「有害図書」という言葉では、「違法情報」などの言葉と区別がつけづらく、存在そのものが許されないものであるのか、青少年への流通が許されないものであるのかが紛らわしくなっています。
 現に、たとえば東京都や岩手県では、「有害図書類」という名称ではなく、「不健全図書類」という名称で条例を運用しています。


 このような状況を踏まえ、有害図書という名称は、変更するべきです。



(2)
 包括指定(第8条第3項)の運用について、東京都で行われている「表示図書」方式に変更するか、包括指定の取扱について、現在の「・・・有害な図書類とみなす」から、「・・・有害な図書類と同様の方法で陳列及び販売しなければならない」と変更するべきです。


 「みなす」という言葉は、法律上では「同等の扱いとする」という意味として解釈されます。しかし、包括指定の基準は、条例によって定まってはいるものの、「卑わいな姿態」や「ただし好色的興味に訴えるものを除く」など、個人の価値観によってその解釈に幅が出る可能性がある曖昧なものです。


 包括指定で有害図書類と見なされた商品についても、区分陳列や青少年への販売禁止義務は罰則付きで規定されていますが、前述のとおり包括指定に係るか否かの基準が曖昧なため、これを罰則付きで義務づけることは、書店等への負担が大きなものとなります。


 東京都では、包括指定ではなく、図書類の発行者に年齢制限をするか否かを自主的に決定する表示図書制度が導入されています。表示図書類の区分陳列と青少年への販売禁止義務については、「努めなければならない」という文言で、罰則も設けられていませんが、店頭においてはおおむね守られており、罰則を課さなくても区分陳列が問題なく行われる証左となっています。


 よって、徳島県においても、わざわざ基準に該当するか否かが曖昧である包括指定について、「有害図書とみなす」という法律的に強い規定にするまでの必然性は存在せず、区分陳列の義務規定だけ明記すれば十分であり、「みなす」という言葉によって書店等に無為に罰則という圧力をかけている現在の条文はあまりに過剰な規定であると思料します。



(3)
 有害図書の指定基準について、「著しく性的感情を刺激し、又は著しく粗暴性もしくは残虐性を助長するため」と定められていますが、この基準も人によってその解釈が変わりうる曖昧なものであるため、『施行規則によって定めるもの』という文言を追加し、より具体的かつ限定的に定義すべきです。


 有害図書の規制基準に「性的感情を著しく刺激するもの」とありますが、もとより人間の性的機能は十代前半で完成するにも関わらず、有害図書の規制により過度にその性的欲求の発散する手段が縛られるのであれば、青少年の性について、あまりに行政の理想のみを押しつけるものです。


 多くの青少年が、自分自身の性的欲求を律するべく、自らと格闘しなければならないという宿命が存在しているにも関わらず、「性的な本など青少年には一切見せてなならないのだ」などのような行政の綺麗事・理想論で有害図書制度を運用するのであれば、行政は青少年の性に怯え、逃げているだけというそしりを免れないものだと思料します。


 有害図書は、「性表現があれば有害」として隔離すべきではなく、可能な限り限定的に運用するべきであると思料します。
 特に、中高生が自らの性的欲求をコントロールする材料までをもを奪わないような配慮に基づいた運用が必要であると思います。


 加えて、過激な表現を含む作品と青少年の粗暴性や残虐性の助長との関連性は見いだされておらず、むしろ表現内容よりも受容環境(どのような環境でその表現に接するか)によって影響が左右されるという『限定効果説』が主流になっています。


 このような状況を踏まえ、有害図書の指定基準について、より具体的かつ限定的に定義すべきです。



(4)
 有害図書の区分陳列の方法について、より女性に配慮した方法を追加するべきです。


 レディース・コミックやボーイズ・ラブなど、近年のポルノ作品は男性向けのみではありません。


 しかし、有害図書の区分陳列は男性向けの商品を想定しているものが多く、女性にとって買いづらいものとなっていることが否定できません。
 これは、男女共同参画を阻害するものでもあります。


 よって、青少年の目に入らないという目的を達成できる方法であれば、現在規則で定められている区分陳列の方法以外にも柔軟にさまざまな陳列方法を容認するような規則に変更し、柔軟性と多様性を容認すべきです。
 加えて、店内に、ジャンルごとに複数の成人向けコーナーを作ることの容認を、規則や行政指導で明記する等が考えられます。


 現に、一部の自治体ではその方法を模索している例があります。
http://www.pref.akita.lg.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1230094071235&SiteID=0
 固定された規則に拘るだけでなく、事業者に自主的な創意工夫を促すことが、結果として青少年に良好な環境を作ることにもなると思料します。