一人の小さな命とその生涯が、主の御手の中にささげられました。

これほど確かなお方にささげることは、地上のどこにもありません。

これ以上の契約の保証、永遠に変わらない保証など地上にはない

のです。与えられた子供を 預けられたわが子を全能者の御手の

中にお返しすることほど 賢い選択はありません。

麗しい献児式に会衆が一つ心で、アーメンと応じました。

 

さて、その週から始まりましたね⁉ 祈らずにいられない切実なとりなし、

熱心な祈りのうねりが!!!!本当に主が強め、立たせ、励まし、粘り強く切に

祈らせてくださいました。実は原稿の段階で集会案内を 間違えて金曜日

は深夜祈祷です、と礼拝の中で報告してしまったのですが、まさかの預言的?

ミス⁇ となりました。最終的に9軒の家庭が自宅療養となりました。

そこから、それぞれが状況を報告し合い、共有して祈る1週間となりました。

 

そして今週は、期限が終わって職場に復帰する方、次々普段の生活に戻る方

が、それを教会までお知らせくださいました。来月頭には全員が戻られることに

なりそうという予想ですが、問題はそこではなく どんなことが起こったとしても、

そこでどのように反応するのか?誰に応えるのか?これをチャンスとするか?

それとも 原因を探し?問題を突き止めようとするのか? いざというときに

考えることは、実は普段いつでも考えていることですよね! 特別な考えは急に

湧いて出てこないものです。何もないとき考えていることが、何かあった時に、

私たちの心の向きを決めています。 

 

私たちが恐れるべき方は主なる神様です! そんなことはクリスチャンなら

誰でも知っているし、簡単に言える言葉です。 しかし そのはずですが、

事が起きると そうは言っていられない‼ と慌ててしまい、顔には出さなくても

内側で嵐のように葛藤するものです。 だから主を恐れなければなりません。

神様を恐れないなら、神様以外の地上の全てを恐れるようになるのです。

 

身体の弱さ、精神的な心の弱さ、霊的な弱さ、ずっと3拍子揃った弱さを抱え、

それをまとっている私たちは、絶対的な強いお方に 信頼しないでは、生きる

ことができません。そのことが 更に明確になった3月でした。

 

昨夜のリモートによる祈り会は、100回を超えるアクセス数が記録されていて

驚きました。ちょっと繋がりずらい方がいたこともあったのでしょうけど、真剣な

飢え渇きと、主に求める祈りがあったことは確かですよね。

 

今月のリビングライフのみ言葉の個所に、この人たちが黙れば石が叫ぶ!と

いう主イエス様の言葉がありました。これを一つのクラスで分かち合ったとき、

一人の姉妹が 「私たちの賛美が黙らされたら、教会の梁が叫びますね⁉」 と

言っておられたことを 何回も思い返しました。 今後★ますます強められて

まいりましょう。 病や症状を甘く見ない!こと以上に 主の言葉を甘く見ない

ようにしたい‼ と心から願い祈ります。