寒さの厳しい毎日を通り過ぎ、1月の第4聖日の朝を迎えました。

主だけを求め、飢え渇きをもって進み出ましょうと促しをいただき、

臨在の主にひれ伏す祈りと賛美をささげて 礼拝が始まります。

思いを尽くし、力を尽くして主を礼拝することとは、どのような姿で、

どのような心なのでしょうか? リーダーの導きに応えてそれぞれの

位置で、それぞれの達しているところで、力いっぱい心を注ぎ出して

主を喜び、信仰を告白して立ち上がります。

毎週感動があり、更に油を注いでくださる主に期待する礼拝が導かれ

ていますが、この朝は特別な思いがありました。 

一歩外に出ると、それぞれの遣わされている家庭、学校、職場、地域

で、毎日飛び交う声に緊張と警戒があります。 慣れてきたように思う

場面もたくさんありますが、3年前とはまた違った疲れや恐れ、諦めや

心配があるように見えます。

 

そんな聖日に語られたのは、神様の言葉に ほんとうですか?と訊ね

その内容を変えようとする敵のねらいが 解き明かされたメッセージ

でした。

私たちは、見た目だけで思い込み、判断し、あるいは多数の声に動か

されて、そうだそうだと賛成してついて行ってしまうものです。その本質が

わからないと 本質からずれていることにも気が付きません。

自分で判断したい、自分で考えて願うように解釈したいという思いこそ

敵の誘導したい領域です。自分で判断し自分で決められるよと誘惑して

くる 敵のやり口が解き明かされました。

 

神様を礼拝し、神の声を聴くために、まず神の権威を認めることが指し

示されて、権威を認めるところに御声が届くと語られましたね。

そして権威に従うところに御声のあることが、幼子サムエルの記事から

語られていきました。

 

ある姉妹の車に乗るとメッセージのCDがずっと流れていました。一度

聞いた毎週の礼拝メッセージを 車に乗るたびに繰り返し聞いている

その習慣には、主の言葉を求め続ける魂の飢え渇きがあるからだと

わかります。私たちは大きく感動して聞いたことも、残念ながらあっさり

都合よく忘れてしまうものです。

メッセージCDを購入して 繰り返し聞くことで、自己流の考えから姉妹が

守られ、日々保たれているのだと 改めて気付かされました。