罰当たりな妄語綺語の書き出しから始まります
ナンミョホウレンゲッキョ...なんて囀りの下手な鶯だし、
ナンマイダ、ナンマイダ...なんてくり返せば、
慳貪なオシカ婆さんが床下の小金を数える様を思い出す。
アタシのような南無大師遍照金剛を唱える立場はさておき、法華経と浄土経こそが、日本仏教の保守本流であることは否定し難く、大衆人気ナンバーワン!
王朝文学や謡曲にも宗教めいた話には必ず法華経が登場する。
食わず嫌いは何事も宜しくないし、倭人の仏教観とは、法華経や浄土経の教えに由来するものが多い。
浄土と言えば、極楽浄土!
単に数ある浄土のひとつにすぎないのですが、真言宗徒は密厳浄土を目指し、極楽なんかは目じゃない(筈が、ややもすると口から出る)
法華経典は、仏陀逝去後数百年のキリスト暦元年前後に出来たらしく、聖徳太子の頃には伝来していましたから、日本仏教の歴史そのもの。
戦前の知識人のなかにも狂信的ともいえる法華経信者がいましたし、歴史にさまざまな影響も与えた。
戦後隆盛を極めた新興教団も法華経系が多い。
仏陀自体の教えを口伝して数百年伝承した...と
信仰する者たちは主張していますが、実に疑わしい。
悪人女人畜生に至るまで悉皆仏性があり仏になれるって、実にありがたい。
仏陀は久遠の存在で過去現在未来にわたり信者に寄り添うって、実に嬉しい
しかしそのためには、六波羅蜜(六つの正しい行い・修行)が肝心であり、その第一が「布施」
財あるものはあるいはなくともまず施せ(財施)
知恵あるものは知識や知恵を伝えよ(法施)
財も知恵も無いものは肉体を差し出せ(無畏施)
ここまで来て読むのはやめた!
宗教系政治団体が政治資金をかき集め、選挙活動に信者を駆り出しこき使う論拠がこれだ。
確かに選挙資金と運動員がいないと選挙運動はままならない。
見返りは、仏になるよりも具体的な現世利益
生活保護や介護、各種補助金とか公共工事の優先指名が享受できるのはありがたい(、、、と言われる)
しかし、そういうのは七つの大罪の「強慾」にあたる。
仏陀が説いた「四諦・八正道」からはかなり逸脱しているとしか思えないし、内面の信心よりも「外形的な奉仕」を要求するのは宗教の本来ではないだろうって
