北条高時腹切やぐら(鎌倉幕府終焉の地)からトコトコ
若宮大路幕府舊蹟。
新田義貞に鎌倉幕府が滅ぼされた時、幕府はここにあったとの事です。
扇谷上杉管領屋敷迹。
足利尊氏が室町幕府を開き、その子:義詮が、公方屋敷で関東を統治、上杉家は足利家の執事として補佐していたそうです。
関東管領は、室町時代に鎌倉府の長官だった鎌倉公方を補佐するために置かれた役職で、上杉家(山内・犬懸・扇谷・宅間)が世襲。
また、江戸城を築いたことで知られている太田道灌は扇谷上杉家の家老を務めていたそうです。線路を挟んだ反対側に、英勝寺がありますが、ここに、太田道灌の屋敷があったそうです。
「内大臣藤原高藤の十三代後に藤原重房がいた。
鎌倉6代将軍となった宗尊親王に従って、鎌倉に下った。丹波国の上杉に領地を賜り、上杉を名乗った。ひ孫の上杉憲顕は、管領・足利基氏の執事となり、一族の勢力は関東を占めた。
重房から5代後の顕定は、扇谷家を創設した。
文明の頃、扇谷家6代目の定正は、太田道灌を用いて勢力を拡大した。
世の人々は、山内家と共に、両上杉または両管領と呼ぶようになった。ここがその屋敷の跡」
寿福寺に到着。
神奈川県鎌倉市扇ガ谷1丁目17−7
鎌倉五山の第三位。
もとは源頼朝の父、義朝の館があったと。
参道。
中門。残念ながら拝観出来ず。
アップで。
落石の恐れ。回り道します 
墓地に迂回して、途中に高浜虚子の墓。
到着
洞窟墓地があちらこちらに。。。
北条政子の墓 ![]()
源実朝の文字が。
これまた洞窟。
鎌倉幕府第三代将軍 源実朝の墓。 ![]()
切通。
鎌倉は攻め難く守り安い
弱点は海岸線
つづく。。。
see you again 👋
東勝寺跡。
鎌倉幕府第三代執権・北条泰時の支援を受けて作られたお寺。
鎌倉時代末期の1333年、新田義貞が鎌倉を攻めた時、執権だった北条高時は東勝寺周辺に逃れましたが、最後には自ら寺に火をかけ、一族と家来もろとも、総勢870人以上がこの地で自害。鎌倉幕府は滅亡しました。
この870人余りをまとめて祀った首塚が現在も敷地内に残されており、「高時腹切やぐら」と呼ばれています。
神奈川県鎌倉市小町3丁目11−38
鎌倉、彼方此方の木々がガサガサ
あちらこちらにリスが普通にいます🐿️ ![]()
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腹切やぐら(鎌倉幕府終焉の地) ![]()
落石注意でここから立入禁止🚧 ![]()
何となく見えます。。。
祇園山ハイキングコースだって。
see you again 👋
鎌倉宮、土牢から護良親王のお墓へ
後醍醐天皇皇子 護良親王墓。
上の方まで階段が続いてます。
一つ目の階段を上がったところ。
二つ目の階段を上がったら左手に三つ目。。💦
階段を上がり切ったところ。
ここから近づけません。
アップで。 🙏 安らかにお眠りください。
退散します。
階段の上からの景色。
また太平記、読みたくなってきた


大塔宮護良親王
元寇の乱で鎌倉幕府を打倒することに主たる功績を挙げ、建武の新政では征夷大将軍に補任。しかし足利尊氏を疎む護良は、武士を好み彼を寵愛した父とはすれ違いが多く、将軍を解任され、政治的地位から失脚、鎌倉に幽閉される。のち、中先代の乱の混乱の中で、足利直義の命を受けた淵辺義博によって殺害された。鎌倉宮の主祭神。
後醍醐天皇が鎌倉幕府軍に立て籠った笠置山。
大塔宮護良親王が隠れた唐櫃があります。
護良親王の御陣地跡があります。
南朝 皇居。
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洞窟


































