中納言兼輔歌碑。(紫式部の曾祖父)
「みかの原わきて流るるいづみ川 いつ見きとてか恋しかるらむ(古今和歌集)」
(現代語訳)
みかの原から湧き出て、原を二分するようにして流れる泉川ではないが、いったいいつ逢ったといって、こんなに恋しいのだろうか。(一度も逢ったことがないのに)
旧恭仁大橋の柱かな。
木津川。
恭仁大橋。
万葉歌碑。
「今造る恭仁の都は山川のさやけき見ればうべ知ろすろし」大伴家持
左の山の中腹が海住山寺かな。
恭仁京に到着。JR加茂駅から20分ちょい
恭仁京跡(山城国分寺跡)。
今から約1,300年の昔、天平12年(740年)12月に、聖武天皇は平城京から現在の木津川市へと遷都しました。その都の名前は「恭仁京(くにきょう)」。都であった時期は、天平16年(744年)までのわずか3年3箇月と短かかったため、古代の都の特徴である、碁盤状の街並みが完成していたかどうかを含め、謎の部分が多く「幻の都」とも呼ばれてきました。
710年 平城京
740年 恭仁京
744年 難波宮
745年 紫香楽宮
745年 平城京
784年 長岡京
794年 平安京
恭仁京大極殿跡。
恭仁小学校木造校舎。
読まれへんやん。。。
大極殿の礎石かな。
大極殿跡から北側を望む。
恭仁京跡 内裏地区。
内裏地区からみた大極殿方向。
コミュニティバス、走ってるんですねぇ🚌
紫陽花。
聖武天皇が去った後、恭仁京は「山城国分寺」として生まれ変わりました。
退散します。
パンフ。
see you again 👋