元慶寺から、山科に来たからにはと、天智天皇 山科陵へ再訪しました。

三条通り沿いです。

京都市山科区御陵上御廟野町


第38代 天智天皇 山科陵。



参道を行きます。走る人



鹿に注意の看板がビックリマーク🦌

左右の木の向こう側は住宅が並んでるのに。


ここからは山の中に。



清々しくて気持ちいい。



到着。







🙏



周りの様子。



退散します。



天智天皇(626一671)

626年に飛鳥で生まれる。即位前は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)。同母弟に大海人皇子(おおあまのおうじ)。大友皇子(おおとものおうじ)は天智の子。645年、中臣鎌足とはかり、当時権力を握りつつあった蘇我入鹿を暗殺したことは有名。663年、白村江の戦い(唐・新羅連合軍との戦い)で敗れた中大兄は、戦後唐の侵攻に備えるため、近江大津宮に遷都(667年)、その翌年に即位し、天智天皇となった。大津宮でおこなった庚午年籍(日本最初の全国的な戸籍)の作成や時を告げる漏刻(ろうこく)の設置で知られる。即位4年後の671年崩御。その翌年に壬申の乱が勃発し、大津宮は廃絶した。













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