西国三十三所第二十一番 穴太寺。
京都府亀岡市曽我部町穴太東ノ辻46
西国第二十番 善峯寺から国道9号を走って移動して来ました〜🛵。。。
境内。
多宝塔。
鐘楼。
西国二十一番 穴太寺。
天台宗。山号は「菩提山」。慶雲2年(705年)文武天皇の祈願により「大伴古麻呂(おおとものこまろ=奈良時代の貴族)」が開創したとされている。創建時は、疫病退散や五穀豊穣を願う薬師如来を本尊としていた。あるとき、丹波國桑田郡の郡司「宇治宮成(うじのみやなり)」は、「感世(かんせい=京の仏像の彫刻師)」に依頼して、聖観音像を彫刻させた。観音像が完成したのを見て感激し、お礼として宮成の妻が、仏師に宮成が大切にしていた白馬を与えた。それを見た宮成は、白馬が惜しくなり、家来に命じて仏師を弓矢で射ち殺し、白馬を奪え返した。ところが、死んだはずの仏師は健在で、仏師が刻んだ観音像の胸に矢が刺さっていた。「観音さまが身代わりになられた」と悟った宮成は、仏門に入り、穴太寺に聖観音菩薩を本尊として祀った。以来、「身代わり観音」として人々の信仰を集めるようになったと云われている。
手水。
本堂。享保20年(1735)の再建。
御真言。
🙏 聖観世音菩薩。
多宝塔。
観音堂。
拝観受付は左の奥へ。
まずは本堂内へ。撮影禁止です。。。
本堂天井の花鳥図。狩野派。(資料より)
布団を被った釈迦涅槃像がおられました。(ネットより)。明治に本堂の屋根裏で見つかった
布団を持ち上げて、なでなでしました〜
次に庭園を拝観させてもらいます。
わぁ貸切だあ
明治天皇陛下御衣
菊の御紋。
庭園と多宝塔。
動画で
欄間。龍🐉
鳳凰かな。
落ち着きますねぇ。
綺麗
素晴らしいですねぇ
外へ出ます。
椿、綺麗ですねぇ。
びんづるさんかな。
宇治宮成の墓。
平安時代に、郡司(ぐんじ=郡を治めた地方官)の「宇治宮成」が仏師を招き、本尊・聖観世音菩薩を造立したとされる人物である。
この日はめっちゃ風が強くて、🛵、煽られた
藤棚。
念仏堂。
この後、御朱印をいただいてたら突然の雨
掛け軸の御朱印の墨を乾かしてる間に止みました。
境内の様子。青空になってる
退散します。
さっきの雨はなんやったんやぁ〜
パンフ。
安寿と厨子王丸の伝説
国守だった岩城判官正が、周囲の讒言に陥れられ左遷をされてしまう。幼い安寿と厨子王は、母親とともに、父である正氏に会うために旅に出ます。しかし、その道中に悪い人買いに騙されれしまい、母親は佐渡、そして姉弟は丹後の山椒太夫に売り飛ばされます。山椒太夫に奴隷として酷使される中で、安寿は厨子王だけでも逃がそうと画策します。逸話では、逃亡に失敗してしまい捕まってしまった時、罰として安寿の額に焼け火箸を当てられるのですが、肌守りの観音菩薩が身代わりとなって痕がつかなかったと伝えられています。その後、二人は逃げることに成功しますが、安寿は厨子王を逃がしきるために犠牲となり、肌守りの観音菩薩を厨子王に託して、沼に身を投げてしまうという悲劇が待っています。その際に、逃亡中の厨子王をかくまったお寺の一つが、この穴太寺と言われています。
see you again 👋