泉涌寺の参道に、
戒光寺(丈六さん)。
本堂。
露店が出てました。
左の方に、泉山融通弁財天 (泉山七福神)。
弁財天の傍から細道を進むと。
那須与一の墓に到着。
鎌倉時代初期の武士。下野国那須の鎌倉御家人。太郎資高の子。名,宗高。源平合戦(→治承の内乱)の際,源義経の軍に従い,元暦2(1185)年2月讃岐屋島の戦いで海上に舟を浮かべた平家の軍勢が,小舟の竿に旭日の扇を掲げて漕ぎ出したのを見て,義経の命令でこれを射落とした話は有名。その功により,丹波,信濃,若狭,備中,武蔵各国に恩賞地を与えられ,那須氏の総領となったが,のち出家して,京都伏見即成院に入ったといわれている。
残念ながら、「鎌倉殿の13人」では描かれませんでしたねぇ。💦
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