龍安寺の駐車場へ。
駐車場の奥の二又を左へ。
龍安寺の塀。左へ行くと龍安寺の池に辿り着きます。右へ行きます。
塀に沿って。
突き当たりに見えてきました。
第69代 後朱雀天皇皇后 禎子内親王 円乗寺東陵。
京都市右京区龍安寺御陵ノ下町
長和2年(1013)〜寛治8年(1094)
第67代 三条天皇の第3皇女で、第69代 後朱雀天皇の皇后。第71代 後三条天皇の生母。
幼くして父と死に別れた彼女は、母妍子、伯母上東門院らの庇護のもと育ちます。
そして成長した彼女は、伯母上東門院の息子で、従兄の後朱雀天皇のもとに嫁ぎます。そして二人の内親王と一人の親王を産むのですが、彼女と夫の間は、伯父藤原頼通によって引き離されてしまいます。
夫の即位後、頼通は養女の嫄子を入内させ、中宮にしたのです。
禎子内親王は名ばかりの皇后に追いやられました。まるでかつての一条天皇皇后定子のように。彼女はかつての東三条院のように、内裏を出ました。しかし、彼女はひるみませんでした。彼女には守るべき息子がいました。そして、耐えることを選択しました。頼通の養女嫄子は結局二人の内親王を産み、そのまま早逝してしまいました。禎子内親王の夫、後朱雀天皇没後に跡を継いだのは、後朱雀天皇と先妻の嬉子の間に生まれた後冷泉天皇ですが、禎子内親王は自らの息子を東宮に着けることに成功します。(これには自身の叔父で側近だった藤原能信の働きが大きいらしい。)
とはいえどここでまた立ちはだかるのが頼通。また自身の娘である寛子を後冷泉の後宮に入れます。ここで後冷泉天皇と有力な后との間に子供が生まれたら……。しかし天は禎子内親王に味方しました。結局寛子をはじめとする有力な后と後冷泉天皇との間に子供は生まれませんでした。そして彼女の息子、後三条天皇が皇位につくのです。
後三条天皇は延久の荘園整理令など摂関家の権力削減に努めました。そして後三条天皇の息子、白河天皇が院政を開始するのです。
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