圓融天皇 後村上陵から北へ数分進みます。走る人



右側に妙光寺があります。



突き当たりに村上天皇参道ビックリマーク





走る人


走る人


走る人


見えてきた〜。



京都市右京区鳴滝泉谷町13



第62代 村上天皇 村上陵。



在位 946年(天慶9年)〜967年(康保4年)。

諱は成明。


醍醐天皇の第14皇子で母は関白 藤原基経の娘で皇后の隠子。19歳で実兄朱雀天皇の皇太弟となり、2年後に即位。前代からの関白 藤原忠平が在位4年目に死去したあとは摂関を置かず親政を進めた。このことが先の醍醐天皇の治世とともに「延喜・天暦(村上天皇の時代)の治」として後世に聖代視されるが、社会は地方政治の乱れ、国家財政の破綻などにより揺らぎ始めていた。あるとき臣下に今の政道はどうかと尋ねたところ「主殿寮の松明の消費が多く、率分蔵(大蔵省の倉庫)には草が生えている」(公事が夜まで長引き、諸国からの進上物が滞っている)との答えに赤面したという。親政の実態は藤原実頼(左大臣)、師輔(右大臣)兄弟(忠平の子)に支えられたものであった。そしてあとを継いだ冷泉・円融両天皇(ふたりは師輔の娘で皇后安子の子)から摂関常置となった。天皇は詩歌、書、琵琶、笛をよくし、詩に関しては梨壺の5人に『後撰集』を選進させ、自作の歌が勅撰集に多くとられている。また天徳4(960)年の春には内裏で大規模な歌合(『天徳内裏歌合』)を催したことはことに有名であるが、この年の秋に平安遷都以来初の内裏焼亡に遭い、深く嘆いている。日記の『村上天皇御記』(逸文として残る)や歌集がある。在位のまま死去。


🙏



良いところですねぇ。



下ります。















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