文徳天皇 田邑陵から走る人

宇多野。



福王子神社。

京都市右京区宇多野福王子町52−6



福王子神社の西側を北へ進みます。



到着。



第64代 圓融天皇 後村上陵。



参道。



在位 969年(安和2年)〜984年(永観2年)。

諱は守平。

村上天皇の第5皇子で母は藤原師輔の娘の皇后安子。9歳で皇太弟となり、安和の変(969)の半年後に病弱な冷泉天皇に代わって11歳で即位。16年間の在位中は藤原兼通、兼家兄弟の政権争いに終始し、摂政、関白も実頼、伊尹、兼通、頼忠と目まぐるしく替わった。天皇を風雅の道へ駆り立てたのもそうしたことが一因であったろう。永観2(984)年、26歳で花山天皇に譲位し、翌年、病により出家(法号は金剛法)。円融の女御詮子(兼家の娘、道長の姉)は出家して東三条院(女院号の初例)と称し、政治に口入れしたことは有名だが、出家後の円融も花山・一条朝の政治に口を出した。一方、自由な上皇の身で遊び(和歌・漢詩・管弦)や、岩清水社、石山寺、南都の諸寺巡礼などへの御幸を行った。御願寺である円融寺で33歳の生涯を閉じた。



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