生きることについて
僕も論じてみようと思います
今日の一日
昼起きる、まだ瞼が重い
今日の予定
17時からバイト
以上
起きる、新聞を読む
圧倒的情報量に混乱する
フムフム、自民と民主の話、原爆、裁判員
どれも自分の世界とはかけ離れてる
紙面の現実と乖離した自分の現実
心に留まらない
バイト
レジ打ち
以上
店長との会話、バイトの人との会話
便宜的付き合い
今日は存在しているのに、生きてない
僕は生きるていることを実感してない
入れ物と内容物がマッチしてない
ハンバーガーの具に明太子が入ってる
僕は楽しいと思ったら生きていると思うことにしています
そりゃもちろん楽しいっていうのはつまらないがあって始めて
実感されるものだってのも分かってます
だったら死があって初めて生きていると実感されるって
まぁ僕の定義なのでほっといてくだぱい
友達、気の合う仲間がいて初めて生きていて楽しいと思う
だから楽しい=生きる価値だと
だから生きる=楽しいとして
でも突き詰めていくと友達の定義も形骸化されてる
だから友達の定義を考えると
落ち込んでたら励ましたくなる人ってことにした
でも、いつも同じメンバーといるとたまに疲れる、喧嘩もする
そいつの自分像と実像の触れ合う面があまり大きくない
その一致したところにしかそいつといる自分はいない
そうやって会う人会う人によって仮面を挿げ替えて
そうしていくうちに、一人でいる時の自分が本当の自分だと思うようになる
でも一人は楽しくない
ってことは存在してない
そんなこと考えたりします???
今はなんだかとろけそう、トーストしたパンの上にのったバターみたいに
周りに馴染みそう
そうすることを調和とよぶなら
世界はみんなバターになっちゃえばいいのにね