戦前の日本は、他の国を武力で従わせる「帝国主義」という考え方をやめませんでした。占領した国や地域の人々を苦しめ、その人たちの命や誇りを奪ってきました。アジアと太平洋の広い地域で、15年にわたる侵略戦争によって2000万人以上の命が失われました。これは、日本の軍隊が暴走した結果です。戦争が終わってから81年がたった今、当時の軍国主義を「正しかった」と持ち上げる動きが強まっています。しかし本当に必要なのは、過去の侵略や植民地支配をきちんと反省し、アジアの国々と信頼し合える関係をつくることです。
1868年に明治の新しい政府ができると、日本はすぐに他国への侵略を始めました。1874年には台湾に出兵し、1894年の日清戦争、1904年の日露戦争を経て、台湾や中国東北部の一部を自分のものにしました。1910年には「韓国併合」を強引に押しつけ、朝鮮を植民地にしました。そして1945年に日本が負けるまで、朝鮮の人々を働かせるために「徴用工」として連れて行ったり、「慰安婦」として女性たちに苦しい思いをさせたりしました。
1931年には、中国東北部にいた日本軍が「満州事変」という軍事行動を起こし、翌年には日本の思い通りになる「満州国」という国を勝手につくりました。さらに日本は「満蒙開拓」として、大勢の農民をこの地に移住させ、もとから住んでいた中国の人々の土地を奪って入植地に変えていきました。こうした、力の強い側が新たな入植地をつくり、もとからの住民の土地や暮らしを奪っていくというやり方は、今のイスラエルによるガザなどでの入植地建設を想起させます。
1937年には中国への全面的な侵略戦争を始め、その年の12月には南京で、捕虜や一般の人々十数万人から20万人以上を殺害したとされる大きな事件を起こしました。日本軍は行く先々で、焼き払い、殺し尽くすというひどいやり方をとり、乱暴な行いが各地で繰り返されました。
中国の抵抗が強まり、日本は行き詰まると、ドイツ・イタリアと同盟を結びました。それに対しアメリカが石油の輸出を止めると、1941年12月8日、日本はハワイの真珠湾を奇襲攻撃し、太平洋戦争が始まりました。同時に東南アジアにも攻め入り、インドネシアでは現地の人々を鉄道建設のために無理やり働かせ、多くの死者を出しました。
なぜアメリカなどは日本への石油の輸出を止めたのか! それは日本が国際法を踏みにじる侵略行為を改めなかったからです。一部の歴史を捻じ曲げる論説に、石油を止められたから仕方なく日本は戦争をした、というものがありますが、それはいま見たような、1931年からの事実を見れば成り立たない論理であることは明白です。
戦争の初めは日本が優勢でしたが、1942年ごろからアメリカに押され始めます。1945年3月の東京大空襲をはじめ全国で多くの民間人が命を落とし、同じ年の8月には広島・長崎に原爆が落とされ、その年のうちに21万人以上が亡くなりました。本土を守るための「捨て石」とされた沖縄では、住民の4人に1人が死亡し、日本軍に強いられて住民同士が殺し合う悲劇も起きました。日本は1945年8月15日に降伏し、戦争が終わりました。
この15年間の戦争で、200万人以上のアジアの人々と310万人以上の日本人が命を落としました。今大切なのは、過去の侵略や植民地支配についてきちんと責任を認め、心からの謝罪をし、アジアの国々との本当の信頼関係を築くことです。とくに朝鮮半島での「徴用工」や「慰安婦」の問題は、まだ解決していません。謝罪と償いをして被害者の尊厳を取り戻すことが、これからの日韓関係の土台になります。日本人自身も大きな戦争被害を受けました。政府は、被爆者への支援や、空襲などすべての戦争被害者への償いを、もっと早く進めるべきです。
最後に、、当時の西ドイツのヴァイツゼッカー大統領が、1985年の5月8日(ドイツの無条件降伏の日)に行った世界的に有名な演説をご紹介します。
「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも盲目となります」




