初めての徒然草は、中学校のときではないか、教科書にあった? 第十一段 神無月の頃。これが多分初めて見た徒然草。つゆおとなうものなし かくてもあられけるよ といった言葉の意味するところを国語の先生から聴き、心地のよい響きを感じた。

 

次は、高校時代に受験生としてたくさんの段を読んだ。そして、仁和寺と双ヶ丘という固有名詞が記憶に刻み付けられた。

 

大阪に出張することがよくあり、その日は泊まって朝早く起きて、京都に行って歩き回ることが何度もあった。かなり歩いた。

 

あるとき、もちろん事前にそのお寺の名前は何かの本で知っていたのである、花園駅で降りて、北へ向かって歩いて、左手に長泉寺を見つけた。ここだと思った。ここか~である。つれづれなるままに日ぐらし硯にむかひて・・・の場所は。墓もあった。もっとも、後に知ったところでは、兼好法師家集に「ならびのをかに無常所をまうけて」という詞書があることから、兼好法師は、双ヶ丘に墓所を定め、晩年をこの地で過ごしたと考えられていることから、元禄の頃、兼好をしのぶ人々によって長泉寺が建立されたそうである(「日本の古典をよむ 方丈記・徒然草・歎異鈔」小学館 参照)。

 

とここまで書いて、昔、どこかに書いたかなと思った次第であるが、ここまで書いたので消さずに残すことにしよう。

 

京都の町は良く歩いた。秀吉の墓にも行った・・・。もちろん高台院も。