皆さま、こんにちは。

行政書士・終活カウンセラーの上田です。

 

私は中学校から短期大学までミッションスクールに通いました。

そして高校一年生から今日まで、ほぼ毎日、聖書を読んでいます。

 

本日2023年9月16日に読んだ聖書の箇所は、新約聖書コロサイ人への手紙第2章です。

心に残る箇所は何箇所もありました。次に記載しているのは、その内の一節です。

「自己卑下や御使い礼拝を喜んでいる者が、あなたがたを断罪することがあってはなりません。」

(コロサイ人への手紙第2章18節)

この箇所の「自己卑下」という言葉が私の中に残りました。

 

 

自分自身を省みて、自分がどれだけ至らない存在であるのかを認める謙虚さは必要でしょう。

至らない存在だからこそ、もっと良いものになりたいと願うこともできるのですから。

 

「知識が十分に無いからもっと知識が欲しい」

「今の自分が満足のできる状態ではないから、もっと成長したい」

「不完全な存在だから、もっと完全になりたい」

そう願うことができます。

もし自分が今で十分な存在だと思えば、もはやそれ以上を求めることもないでしょう。

 

しかし、謙虚であることと、自分を卑下することは違う。

「自分はこんなにダメな人間なんです」と殊更に言いまくることは正しいことではないでしょう。

 

確かに、全ての人は悪いところもあるし、不完全な存在でしょう。

しかし同時に一人一人は大切な存在である。

そのことも忘れてはならない。そう思います。

 

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。

それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

(ヨハネの福音書第3章16節)

 

全ての人は、私たちを造られた神様から愛されている大切な存在である。

そのことを忘れてはいけない、と改めて思いました。

 

 

さて、当事務所では、終活に関して「漠然としている不安」についてもお話をお聴きします。

決してこちらの考えを押し付けるのではなく、相談者の方のお話をお聴きし、何が不安なのか、どうすればその不安を解消できるのかを一緒に考えます。

相談者の方の必要に応じて、遺言書、任意後見契約等の提案もさせて頂きます。

初回の相談料は無料です。お気軽にご相談ください。