見失ったままである。
と言うか、敢えての脱線なのだ。

例えば、流行の発端は、意図が有る無しに拘わらず、人の五感が刺激されることから始まる。その五感が刺激された人が、それを知らない人へ共感を求め、話すことが広がりの始まりです。


その伝わる時間や、伝へたい気持ちにさせる、五感が刺激されるがされまいが、それらを一気にある程度の状況に持っていくことが、広告やイベントになるわけなのだが、これは、ある意味強引な部分があり、伝わったとしても、好まれるか否かは、全くわからない、それらに関わる人達の感覚で進められて行くのだ!

成果が出て、成功すれば、それが、一つの道しるべになる。二番煎じを渡り歩く企業も仕掛け人も沢山います。

一流の仕掛け人達も、奇抜な試みを沢山行ってます。成功が世に出、不発は、消費者の知らない仕掛け人側の中で、ひっそり消えていくのです。

戦略され、戦術が施され、その時点でビターっとハマる!丸腰で海釣りをするか?魚群探知機を引っさげ、挑むか?釣り堀で釣るのか?はたまた、金魚すくいで、モナカなのか、半紙なのか、網ですくうか?入れ物ですくうかなのである。

肝心なことは、仕掛け人達が、どんな状況で魚を釣るのかなのだ!

それを理解して、対策をこうじて、釣りをする人が少ない。

簡単なシステムなんです。

だから、私は流行の仕掛けに対して
あまり論じないんです。

我々の仕事は結果を出すしかないんです。

これは仕掛ける側が目的を一つに集中して、最善を尽くしてこそ、各々の手腕を振るい、世の中を動かす。

だから、この仕事とは最高に楽しいんです。



iPhoneからの投稿