【サイレンススズカ】 NO.2 | 上村洋行オフィシャルブログ「うえちんのひとりごと」Powered by Ameba

【サイレンススズカ】 NO.2

3戦目を圧勝したものの皐月賞には間に合わず、




照準をダービーに切り替え、




トライアルの青葉賞を目指す事になったサイレンススズカ。




まだまだ課題を沢山残しながらも慎重に調教を積んでいったのだが、




青葉賞のレースの週の火曜日、




思いもよらない事態に陥った。




朝、厩舎に行くとサイレンスの脚が腫れていた。




俺も、先生も、厩舎のスタッフも、みんなが青覚めた。




そして、予定していた青葉賞も、




この時点で断念せざるをえなかった。




診断の結果、幸い軽傷で、




「何日か休ませれば、腫れも治まるのでは」




との、獣医の診断だった。




この時、俺も相当心配したが、軽い症状との事で少しは安心した。




当然、この時はすでに次のレースの事などは一切頭に無く、




1日でも早い脚の回復を祈るのみであった。




そして、1週間ほど厩舎の周りを歩くだけの運動にして様子を見た。




その甲斐あってか、翌週の火曜日から調教を再開する事が出来た。




調教を再開する事が出来たこの週、




実はこの週は、




あのダービートライアル最後のプリンシパルSだった。




この時2勝馬のサイレンスがダービーに出走するには、




ここで勝つか2着に入り権利を取るしか方法が無かった。




そして、この辺りから、




俺の感じている事と先生の考えにズレが生じ始めていった。




(ここからはあくまでも俺の考えで、先生を批判しているという訳ではない事をご理解ください)




この時、俺は、まだ未完成であったサイレンスの将来性を考えて、




ダービー出走は無理だと思っていた。




しかし周りは、まだ諦めていなかった。




そして、ダービー出走を賭けてプリンシパルSに使う事となった。




こういう出来事があったにも関わらずである。




僕の中で、これはありえない事だった。




1週間厩舎周りの運動しかしていないにも関わらず、




いきなりレースに出走?




俺も、この時ばかりは驚いた。




確かに、競走馬として生まれてきたからには




クラシック、そしてダービーというのは、




誰しもが憧れるレースである。




そして、出走させる以上勝ちたいというのは、




競馬に携わる人ならば当然の事である。




しかし、この時の先生の判断に、正直俺は戸惑いを感じた。




でも、まだ若手だった俺に、先生に意見する事は出来なかった。




ただ、俺にはこの時、思っていた事があった。




今のままダービーを目標に調整を進めていけば、




サイレンスは本当に精神状態と能力とがぶつかり合って、




走るたびにコントロールが効かなくなってしまう。




正に、諸刃の剣である。




それだけは絶対に避けたかった。




しかし、プリンシパルSで2着までに入れば、




ダービーへ出走する事ができる。




だから、プリンシパルSに使いたい。




そして、周りもダービーしか見ていない。




サイレンスの精神状態を分かっていない。




それでも、やっぱりレースに出走させてしまうのか?




俺は思った。




それなら、同じ走らせるのであれば




2200mのプリンシパルS、




そして2400mのダービーを目指すよりも、




1600mのNHKマイルカップの方が、




今のサイレンスにとってレースがし易いはず。




だから、NHKマイルカップに出走してはどうか、と。




そして考えた。




それを先生に言うべきか、言わざるべきかを。




言うという事は先生の考えを否定するのと同じ事で、




この時の俺の立場でそんな事を言ったら、




生意気と取らて当然であった。




先生やオーナー、スタッフからしてみれば、




せっかくここまで大変な思いをして、




ダービー目前というところまで来てである。




それも、サイレンススズカという




将来有望な未知の力を持った馬であるにも関わらず、




ダービーを目指すのを止める様、




俺は言おうとしているのだから




(厳密には路線を変える様)。




先生に刃向かっているのだから。




迷った。




下手をしたら、サイレンスを下ろされかねない。




普通ならば言えない。




言わない、絶対に。




言える訳がない。




トップジョッキーが言うのならばいざ知らず、




当時の俺の立場からすると、まだまだヒヨッコ。




そのヒヨッコがそんな事を言えば、降ろされてもおかしくない。




だから迷った、本当に。




そして、俺は決断した。




先生に言う事を。




なぜならば、サイレンススズカの本当の状態を、




乗っている者として少なからず分かっていた、理解していたからこそである。




別の言い方をすれば、サイレンスの未来を見てみたかったからである。




とてつもない可能性を秘めた未来を。




馬というのは、調教で何日もかけて教え込んできた事でも、




たった一回の競馬でダメになってしまう場合がある。




だからこそ、ここは俺が言うべきだと思った。




今のサイレンスの心の叫びを、一番近くで感じていたのが俺だったから。




言わずにはいられなかった。




そして俺は、覚悟を決めて先生に言った。




「先生、ダービーをやめてNHKマイルカップに路線を変えた方がいいのでは?そこから改めてレースを教えていく方がいいのでは?」




と。すると先生は、




「どのレースに走らせるかは、オーナーと調教師が決める事や。お前は口を出すな」




と一言




(今考えると、大それた事を言ったなと思う)。




でも、今でも思う。




あの時そう言った事は、間違ってなかったと信じている。




ここでひとつ言いたいのは、




俺はあの時の自分の言動を美化するつもりは一切無い。




ただ純粋に、サイレンススズカという馬の、




あの馬の潜在能力の高さがどれだけ凄かったかを、




皆さんに知って貰いたかったから、




あの時の気持ちを正直な表現で伝えているのであって、




決して慢心的な気持ちで言っているのではありません。




そこは分かって下さい。




サイレンスの将来を案ずるが故に、




この様な言動を起こしてしまった事を。




そして、結局プリンシパルSに出走する事となった訳なのだが、




ダービー出走を賭けたレースとはいえ、




俺としては絶対に無理をさせたくなかった。




俺が出来る事といえば、調教で無理をさせない事だけだった。




かくしてこの様な状況で出走する事となったサイレンスを、




俺は守ってあげたかった




(無理をさせたくなかった)。




しかし、守ると言っても、




プリンシパルSに出走する事となった以上、




俺も気持ちを切り替えるしかなかった。




そして、その週の追い切り。




俺は、軽い追い切りに留め、坂路を56秒程度に抑えた。




本当に軽い程度に。




それは、サイレンスの精神状態を思っての事である。




本気でやれば、簡単に50秒を切る事も出来た。




しかし、ひとつ間違えれば、




コントロールが出来なくなってしまう恐れがあるし、




これ以上サイレンスに負担もかけたくなかった。




そして、その調教を見届けた先生は、




俺とサイレンスが帰ってくるなり、




怒りをあらわにしてこう言った。




「ダービーに出れるかどうかの追い切りやぞ!そんな軽い調教で勝てると思っているのか!」




と一喝。




しかし、俺は先生に意見してしまった。




「大丈夫です。これで十分です。サイレンスならば、絶対に結果を出せます」




と言い切った。




それは、サイレンスの潜在能力が言わせたに他ならなかった。




しかし、俺としてはもっと別のところに心配があった。




一番大事な馬の状態、




気持ちに無理をさせてまで出走させてしまう事であった。




この時点でサイレンスには、沢山の期待をするあまり、




相当な人間の要求を押し付けてしまっていた。




俺は、それが一番不安だった。




ただでさえ慎重に扱わなければならないにも関わらず、




走らせてしまう事が。




それが、今のサイレンスにとってどれだけ負担になっていた事か。




裏を返せば、




サイレンスにはそれだけの期待に応える能力があったからこそ、




人はこの馬に沢山の事を求めてしまった




(確かに、俺も期待していたその中の一人であった訳だが)。




俺は、そこに違和感を感じずにはいられなかった。




「なにもダービーだけが全てでは無いはず。確かに誰しもが勝ちたいのがダービーというレース。しかし、馬の状態や気持ちを無視してまでも、このレースに出走させるのが良かったのだろうか?」




そして、迎えたプリンシパルS。




サイレンスは、俺の心配とは裏腹にとんでも無いレースをしてくれた。




1週間、調教を休んでいたにも関わらず、である。




普通の馬だったら絶対にありえない、




というかレースにすらならない。




それを何と、




課題にしていた馬の後ろで我慢する事をやってのけて勝利したのである。




そして、着差は僅かではあったが横綱相撲で完勝してくれたのである。




これには俺も、正直、脱帽した。




何回も言うようだけど、正に怪物であった。




普通では絶対にありえへん。




ありえへんねんけど、




それをいとも簡単にやってのけたサイレンス。




やっぱり俺が惚れ込んだ馬だけあった。




そして、ダービー出走の権利を見事に自力で勝ち取った訳なのだが、




俺はこの時、ダービーに出走出来る喜びよりも、




サイレンスの脚元や精神状態の方が心配だった。




<続く>