私は選択が苦手だ。

だって選択は一生ものだから。

余裕があればあるほどそれは難しくなる。

時間がないとか、精神的に追いやられてるとか、そんなとき、意外と大胆な選択をしたりするもんだと思う。

昔とても好きだと思っていた人がいました。

その人のためなら何でもできると。

そのせいで壊れてしまった、いや、私が自ら壊してしまった関係がある。

今、私が惜しいのは壊してしまったほう。

しかし、壊さなかったら、愛しさも感じず、惜しいと思うこともないだろうと知っているのだから、結局それは正しい選択だったのかも。

今よりもっと子供だったとき、私は自分に選択の力がないと思っていた。

それより少し歳をとったとき、自分にできる選択を間違えずに選ぼうと思った。

今私は、どんな時も自分が遠くまで考え、選択してきたことになんとなく気づいている。

自分の周到さ。それは少し悲しい。

でも、もっともっと先まで、今自分が周到に用意して向かっている先までいったら、私は案外、道理の枠を通り越して、気持ちのままに(それでいてやはり周到な)選択をするのかも。

山崎はそれでも電車を一本やり過ごしたんじゃないかと思う。

そしてそこに淡いレモン色のワンピースを見つけたんじゃないかと思う。

それは衝動的な選択のように見えて、案外計画的な、冒頭でなった一本の電話からすでに決まっていた答えのような気もする。