江國さんの小説には携帯電話が出てこない。(なつのひかりのキャラメル箱は除いて)

私はそれに少し違和感を感じる。けいたいをもっていないひと。

特別でない、ありふれた日常を送る、どこにでもいそうな、それでいて自分は絶対になることのできない、やはり特別な登場人物。

細部まで書き込まれたディテイルは私の想像力を掻き立て、まるで映画を見ているように、目の前に情景を広げる。

それでいて、スペシャルでないけれど、かといって身近でもない設定は、私を逆に現実から遠ざけているような。

不思議な生活感とその逆をいっぺんに体験したような感じになる。

つまり、実在しそうな、そして何かを間違えると自分もそこにたどりつきそうな、しかし間違えないということをなんとなく心のそこで知っている、そんなひとたちの生活。

そこに生きている彼女たちのストーリーを悲しいと思う。

それでいてなんとなくその悲しいに憧れる。

いっそ、おんなじように自由になりたいと思う。

さみしくてもいいような、力強い気持ちになる。むしろ一人でいたほうがいいような気さえする。

けいたいをもっていないひとたち。じゆうなじゆなひとたち。

携帯電話に何かを期待するのは疲れる。私はジョニーがいないと何をしていいかわからなくて途方に暮れる。

音がなると知っているのに画面を確認しないと不安を感じる。

これはもう一種のトラウマみたいだと思う。