仏壇のローソクの電球が切れて、家電量販店Jへ買いに行きました。



1回目。
探したが場所が分からず、若い男性の店員さんに聞きました。

「仏壇のローソクの電球が切れたので買いに来ました。現物はコレです。ありますか?」

すぐに案内してくれて、「コレですね」とのこと。

現物とはチョット形が違っていたので、「(電気は)つきますかね?」と確認すると、「(ローソクの台に)はまればつきますよ」と教えてくれた。

購入した時に、現物は処分しておきましょうか?との気遣いに、「お願いします」と処分をお願いした。

そして、家に帰り、仏壇のローソクに・・・はまったがつかず・・・


2回目。別の女性の店員さん。
経緯を話したら、同じサイズで別のタイプ(w数の違いらしい)があるとのこと。

購入したタイプでダメなら、そのタイプならつくと思うが、現物を確認した方が確実と説明してくれて、購入した電球分は返金してくれた。

では現物を持ってきますと話すと、その時にはこの品番を言っていただければすぐ発注できますとメモをくれた。

納得して帰る。


3回目。別の50才ぐらいの男性の店員さん。
経緯とメモと現物を渡し、注文したいと話したら、「仏壇用品は特別なものが多いので、この品番製品では電気はつかないかもしれない。仏壇専門店で探した方がいい。」とのこと。

「えっ?でも他にあてもないので、もしつかなかったら返品できますか?」と聞いたら、「このタイプは流通量が少なく、注文したら返品できません」とのこと。。。


頭にきた・・・「どこで買えばいい」と聞いても「わからない」
んーーー「何度も来たのに、最後は仏壇屋に行けってどうゆうこと!」

その後は言い訳の話ばかり・・・



ダメだ。この店では。


その場で自分でスマホで仏壇屋を調べて、問い合せ・在庫確認したらあると言う。

その店員に「もういい」と言って店を出た。



その仏壇屋に行ったら、普通の家電屋さんでは取り扱ってないところも多いとのこと。
電球を買い、家に帰ってつけてみたら無事ついた♪

よかった。



少し頭が冷えて冷静に思った。

3回目に対応した店員は、どう対応したら誠意ある対応と思われたのだろうか?

このような事は、どんなに社員教育を徹底しても、ある確率で発生するだろう。

あの段階で仏壇用品が特別なものであると気付いたことは、1・2回目の店員よりはまともだった。

でも、そこで自分は悪くないという言い訳の話ばかりで、仏壇電球を買いたいという僕の要求には全く対応してくれていなかった。

どう対応すればよかったのかな・・・



こういうのはどうだろう。

「申し訳ございませんでした。(非を認め詫びる)」
「近隣で購入できる先を探してみますので、しばらくお待ちください。」
・・・
「調べたところ近くの○○というお店で候補品を取り扱っているとのことでした。在庫もあるとのことです。大変恐縮ですが、そちらで現物にてご確認いただけませんでしょうか。」

と言ってくれれば、少しは納得できたかもしれない。

最近では、百貨店でも「○○というブランドのお店は何階ですか?」と聞いて対象店がない場合は別の百貨店を案内してくれる。

そんな対応なら・・・。



でもあの店員は、電球を探している、なくて困っている、僕の気持ちには気づいてないんだろうな・・・

量販店で専門店並の専門知識を要求するのは難しいかもしれないが、対応レベルは十分にレベルアップ可能だと思う。

社長、いかがですか?
広島の小学校で、『食べものを無くす』ということで食べもの大切さや食べものへの感謝を感じてもらおうという、食育をしたそうです。


今の子どもたちは、食べ物があるのことがあたりまえで、食べ物は自動で出てくるものという考えがあると思います。
食べ残し、好き嫌い、僕の頃もそうでした。


そこの校長はどうしたら子ども達に食の大切さを伝えることができるのかと考え、結果『食べものを無くしてしまえばいい』との答えを出しました。


『給食を止める→子ども達に一から食事(給食)を作らせる』
具体的には『10月の4日間、給食が止まるから自分達で食材からつくる』ことを小3~小6の児童に伝えたそうです。

もちろん、父母や地域の方々からの反対もあったそうですが、粘り強く説得し実現したそうです。


ルールは、
①お金はない
②家から何も持ってきてはいけない
③先生たちは手伝わない
ということでした。


普段の授業では明確な答えがあるのですが、この「授業」には答えがありません。


子どもたちは少しずつ自分達の頭で考え、少しずつ行動を始めました。
道端の畑に苗を見つけ、生産者に交渉し畑をつくりました。
畑を区画に分け、生産者に教えてもらい、育てはじめたそうです。


とはいえ、子ども達だけで育てているわけですからうまく育つものでもありません。
苗に水をやるのを忘れ、枯れてしまいそうになったり、多くの壁にぶつかりいました。
米を作ることを忘れたり、早めに作りすぎた野菜を保存できなかったり、調味料をつくれなかったり・・・

先生たちは焦りながらも、子ども達が身を持って学ぶことを優先しました。


そして、何とか収穫までいった作物達。
うまくできた作物も、うまくできなかった作物もあったそうです。
ほうれん草は、両手の上に小山になる程度しかできませんでした。
1人当たり、小指の先程度しかありません・・・



給食が止まった日。

普段、野菜を食べ残す子ども達でしたが、この日は違いました。

ほんの少しのほうれん草を、何度も何度もかみしめて「甘くておいしい」と、なかなか飲み込まなかったそうです。


校長先生達が伝えたかったことを、子ども達は感じてくれたそうです。





ちょっと極端な食育の仕方だと思いましたが、究極のところ「食べものを無くす」ことが一番「食べものの大切さ」を感じるのでしょうね。

できれば、さらに『食べることは生きることであり、生きることは食べること』ということも気づいてくれたらいいなぁと思いました。


つらい時も悲しい時も、食べていれば生きていけます。

将来を背負う子ども達に、これからの厳しい時代を生き抜く、強い柱をもってもらいたいです。
畑のスミで、枯れ草を積み上げていた山から・・・


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カブト虫の幼虫!デカ!


ざくざく出てきました~目



近くに神社の森があるので、そこから飛んできて産んでいったんだろうか?


わざわざ?




大事に場所を移して育てます~にひひ