(月夜の梟) 私もしっぽがほしい  | ♡卯月花のブログ♡

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幼い頃からの想い出を縦糸に
道草しながら出逢った人や動物たちとの交流を横糸に
綴っていきたいと思います。
昭和の良き時代を生かされた事は
幸せだったとしみじみ感じます。







(月夜の梟)私も猫のしっぽがほしい 










朝日新聞 「be on Saturday」9面
「Re ライフ on Saturday」より
書き写します。


🦉 月夜の梟 小池真理子


私も猫のしっぽがほしい


子どもは時に、
親に向かって面白い質問をする。
或る女性編集者は、八つになる娘から、
「死んで天国に行って、
こんなことがあったよ、と
神様と楽しくおしゃべりする道と、
小鳥になって生きる道があるとしたら、
どっちを選ぶ?」
と訊かれた。


八歳の女の子が
「死」をとらえ、感じ、考え、
想像の翼を広げていく。
「死」は漠然としたかたちで、
子どもの心の中にも
早くから陰影を落とす。
だが、無垢な想像力が、
その陰りから
子供自身を救っていくのだ。


くだんの女の子は大の猫好き。
家でも猫を飼っており、
「生まれ変わったら、猫のしっぽがほしい」
という名言を吐いた。
今現在、ほしいのではない。
生まれ変わったら、という想像力の妙。
輪廻転生ではないが、生まれ変わり、
という発想がすでに芽生えていて、
しかもそれが「猫のしっぽ」に
象徴されていることに深く感動した。


三十年近く前、捨てられたのか、
自ら森に迷い込んだのか、
大きな茶トラの雄猫が
我が家に出入りし始めた。
太くて長い、
立派なしっぽをもつ猫だった。


当時、東京から連れてきた愛猫は
完全室内飼いにしていたし、
彼女のしっぽは
生まれつき鍵状に曲がっていた。
外暮らしができる、
長いしっぽの猫は初めてで新鮮だった。


誰もいない森の中を
私は彼と一緒によく散歩した。
どこまでも忠実な犬のように
並んで歩いてくれた。
ぴんと立った彼のしっぽは、
いつも私の指先にあったから、
それを軽く握るのが癖になった。
猫に連れられて歩く森。
彼は道先案内人で、
猫に導かれて森の奥深くに分け入っていく、
というイメージが快かった。


もし私が死んだら、
こうやってあんたのしっぽを握るから、
気持ちのいいところに連れてってね、
と猫に話しかけた。
その想像は私の中で、
長らく温かなものとして生き続けた。


だが、或る年の秋、
意気揚々と外に出かけていった彼は、
二度と帰ることがなかった。
私の手からしっぽが失われた。


夫が死んだ時、
ふと、彼のことを思い出した。
あの威風堂々とした、
太いしっぽをもった猫がいてくれたら、
と思った。


道先案内人としての一匹の茶トラの猫が、
夫に寄り添って歩いている。
夫は片手で猫のしっぽを握りながら、
霧にまかれた地平の彼方······
死者を迎え入れてくれる神秘の場所を目ざしている。


トラ、と名付けた猫だった。
稀代の名ハンターで、ヤマネやリス、
キジバトまでくわえて帰り、
そのたびにあたりに私の絶叫が轟いた。


夫は雄である彼のことを格別、可愛がった。
なあ、トラ、
男同士にしかわからないことがあるよなぁ、
などと話しかけていた。


トラに付き添われ、
そのしっぽを握りながら、
森の中、
何やら楽しげに歩き去って行く
夫のまぼろしが目に浮かぶ。
私も猫のしっぽがほしい。   


(作家)










今日 私のお誕生日の朝に

とても素敵なプレゼントを頂いたような

優しくなれる一日の始まりです。










一昨日 3日(木)に 母に会ってきました。

娘と二人で面会して

(会議室で一人ずつ30分以内ですが)

ドアの所に椅子を置いて頂いて

3人でおしゃべりができました。








画像は pinterestより

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