フリーター 坂本龍馬さんを学ぶ 其の四十二 | あかり姫と坂本龍馬伝説

フリーター 坂本龍馬さんを学ぶ 其の四十二

「坂本さんの言う通りじゃった。ワシは長州に行く」

長州から戻ってきた吉村虎太郎が、大柄な体を震わせて、息を弾ませて興奮した顔でそう言って土佐を脱藩したのは龍馬が脱藩する一か月のことでした。

大柄で普段はおっとりしている吉村が、龍馬が語る久坂玄瑞の話を熱心に聞き、話の真偽を確かめるべく長州に久坂に会いに行ったのは、龍馬が帰ったすぐ後のことです。

武市は理論派で、久坂の話を話すときは、要点を語るに止まるのに対して、龍馬は久坂玄瑞の話を詳細に語りました。龍馬は吉村たちと焼酎を飲みながら、その魅力を身振り手振り、玄瑞のモノ真似を交えながら面白おかしく語りました。久坂が高い調子で熱い持論を語り続け、ついには感極まって自作の漢詩を吟じる姿の真似をすると、龍馬の表情の可笑しさに、一同は大笑いするのでした。龍馬の話を前のめりになって聞き入っていた吉村が、龍馬の話の内容を逐一質問しては考え込んでいました。龍馬に、まあまあ、ワシの理解が間違っているかもしれないから、久坂に直接聞くようにと念を押され、吉村は今度は自分が武市の書状を届けに萩に行くことを申し出たのでした。

久坂玄瑞は、他国には媚びへつらい、不平等条約を結びながら、下々には厳重な身分制度で高圧的な態度を取り続ける幕府と諸藩に代わり、天皇の国を作る、そのためには藩の枠、身分の枠を超えた草莽の志士の力が求められている、是非、私たちと共に行動して欲しい!と吉村に頼んだのでした。新しき国を作るのは自分たち草莽の志士であり、あなた自身が動かなければなりません!そんな久坂玄瑞の言葉は吉村を奮い立たせました。

長年下士が上士に苛められてきた土佐に比べて、身分の低い武士が生き生きとしている萩に来て、吉村が土佐を見限る決断をするのに躊躇することはありませんでした。吉村は、筑前の平野国臣に聞いた、島津久光公が上洛するらしいですよ、との情報に興奮し、さらなる脱藩への意欲が否応なく高まったのでした。

 長州が米仏艦隊に敗れた後、813日に孝明天皇が神武天皇陵を参拝する大和行幸と攘夷親征の詔勅が発せられました。吉村は仲間らと共に、天皇の先駆けとならんと天誅組を組織しました。去る五月十日の下関での攘夷決行で久坂たちを率いた中山忠光卿を首領に抱き、義挙を計画したのです。

「領民に重税を課して苦しめ、上の者ばかりが良い思いをしちょる幕府に一泡吹かせ、天子様の政府を作っちゃろう!」

そんな血気盛んな若者の中に、那須信吾もいました。龍馬の脱藩を手助けした後に引き返して吉田東洋を暗殺した張本人です。那須は、行動で世の中を変えていこうという久坂の思想を龍馬から聞いて即実行したのでした。那須は、東洋暗殺後に脱藩し、久坂たちに合流し、天皇の国を作るという理想の実現へと向かっていったのです。

吉村、那須が長州に向かったのに対して、同時期に脱藩した龍馬たちが東に向かったことには、大きな違いがあったと言わざるを得ません。

吉村たちは理想に燃えていました。

 中山卿は、夕暮れの方広寺に呼び出されて行くと、数十名の志士たちが夕暮れの中で出迎えました。

 「吉村、今度は何用か?また長州に行くのか?」

「中山様、我らは大和の国にて天子様の大和行幸の先駆けをなそうと思います。天子様の御親政を実現したいのです。是非、主将としてお迎えしたく・・・」

「池君もおられるとは、何と頼もしいこと!」

五月十日の光明寺党の米国船砲撃に加わった池内蔵太がニコニコして一礼しました。

かくして中山忠光は、再び尊王攘夷派の神輿に乗ったのでありました。

かくして吉村たちは「天誅組」を結成したのです。

「諸藩の領民を幕府の重税から解放しよう」

天皇の国を作るとは、領民の暮らしやすい国を作ることでした。幕府の力の及ばない、天皇が支配する地域を作る。幕府に代わって天皇の威光が支配する地域を少しずつ増やしていくことが、皇国を現実化することである、まさに自分たちこそが幕府を倒し、理想の国を作るのだと思うのでした。

 しかし、吉村たちには、大和の国の地元の農民らの支持は全くありません。地元の領民に支持されずに領民を治めることなど出来ません。そこで、中山忠光卿に頼んで地元の狭山藩の大名に圧力をかけてもらうことにしました。

「私は天子様の侍従長である中山忠光である。帝の臣である。朝廷の命として、義挙に参加することを命じる。」

「はあ・・・」

対応した家老はあっけにとられました。すでに殿様は逃げ出していました。

徳川将軍の家臣である大名たちは、朝廷という権威にどう対処すべきか、全く分からなかったのでありました。中山たちは、狭山藩に銃などの武器を差し出させ、義挙に参加する約束をさせました。

かくして菊の御紋と七生族滅天後照覧と書いた旗を掲げた天誅組は、武器を準備して幕府の天領である五条に到着すると、代官所を包囲して代官鈴木正信に降伏を求めました。池内蔵太が空砲で威嚇します。そして、吉村たちは代官所に突入して制圧し、代官を捕縛したのです。

「ただ今より、ここ五条は天領直轄地といたし申す。」

吉村虎太郎が大声でそう叫ぶと、那須たちが歓声を上げました。中山忠光も、感動の涙を流しました。

天誅組は、桜井寺を本陣として、御政府を設立しました。

翌日、御政府は「本年の年貢は前年の半額とする」旨を宣言しました。かくして草莽の志士たちが、農民を幕府の圧政から解放したのです。

この話が京に伝わり、三条実美が使者として平野国臣を派遣し、平野は天誅組に自重を促すようにと説きました。

吉村は落ち着いた口調で、「本来、我が国の土地は朝廷の土地であり、幕府の土地ではありません。幕府は朝廷より統治を委任されたに過ぎません。朝廷が幕府の圧政から農民を解放することの何が悪いのですか!天子様の民である農民には、無駄飯食らいの幕府の役人どもを養う義務はないのです。我らは農民の年貢を半減します。当然のことをしたまでです。違いますか?」と説きました。

それを聞いた平野は言い返せませんでした。

「吉村さんの仰る通りです。民のこと、先々のことまで考えての勇気ある行動、この国臣、皆様のご覚悟に感服しました。素晴らしきことです!京の公卿の皆様に伝えます!」と、態度を翻しました。

一瞬で態度を翻した平野に、吉村は、そうであろう、そうであろうと得意げに笑いました。池内蔵太もニコニコと笑いました。中山忠光は、「はっはっは!」と大笑いしました。その晩、平野を交えた酒宴が開かれ、一同は新政府の樹立の喜びに酔いしれたのです。

この瞬間がいつまでも続いて欲しい、そんな天誅組の切なる願いはどれだけ続くのか。天のいたずらであろうか、まさか一夜にしてついえてしまうとは、誰も思わなかったのであります。八月一八日に、京で政変が起こったのでした。(続く)