mixiぼんやり見てたらなぜか非公開の日記があったんでここでボツネタ供養する







今回のテーマ:ドア



昨日に引き続きまたドアの話

普段から外に出る生活をしている人なら必ず通る存在である「ドア」

今回はその中でも引いて開けるタイプのドアについて述べる

想像して欲しいのは大型家電量販店やデパートによく見られるノブの所に「引」とか「押」とか書いてあるやつだ


自分は疑り深い性格なのか性根が腐ってるのか天の邪鬼なのかそれとも過去にドアを普通に開けてしまったことが原因で時限爆弾のスイッチを作動してしまったのでそれがトラウマとなってあえて反対の行動をとることになったのかのいずれかが原因で「押」と書いてあっても引いてみたりその逆を行ったりする


なんだろう、そのドアに対して「お前は命令されるがままに「引」のレッテルを貼られているけどお前の可能性はそんなもんじゃないはずだろう。自分の可能性を信じろよ!お前の心を開いてみろよ!ドアだけに!」とか思ってしまうのだ


で、反対の行動を試してみた結果として開かなかったら「ごめんよ……なんか言い過ぎた……」という気持ちになり開いたら「俺は今既成概念を取っ払ってみせた!!自由だー!!お前も自分の新たな可能性に気づく事が出来たじゃないか!!」
とかいう気持ちになる
はい、そこ病んでるとか言わない


何で「引」とか「押」とか書いてるのに両側から開けられるんだ?
これは若者の可能性を抑圧している今の現代社会も同じことが言えるのではないか
それしか出来ない、ではなくこんなことも出来るをもっと見つけていくべきだろう


これからもドアには進化を続けて貰いたい
具体的には近づくと消えるとかガラスが割れても5秒で復元されるとか回転するとか近づくと勝手に開くとか象が踏んでも壊れないであるとかどこでも行けるピンク色のドアとか


……なんか一部ガラスの材質についての事であったりもうあったりするが気にしない










……こいつ頭おかしい

猫が無条件で可愛いという風潮が気に入らない

この前幼女が




「んっとね!んっとね!『自分の誕生日とかを人から祝われるのは当然ってネタ抜きで思っている奴は日常の思いがけない時に足がつればいいのに』っておとなりのおねえちゃんがいってた!!」




って喋ってた。

同感である。

大した人生経験もなく、勉強もしてない政治や社会について偉そうに批判する若者の発言の後ろには

「でも、こんなに偉そうに語ってますけど本当はすごくエロいこと考えてるんですよ」

ってセリフを付け足してイライラを中和することにしている。







そもそも夏休みの昼食頃の時間にショッピングモールのフードコートに行ったことが間違いであった。

そこにいたのは親子連れで子どもの方はまだ義務教育を受ける前くらいの年齢である。

その子らも大好きなお母さんと一緒にお出かけできたのが嬉しいのかはしゃぎまくってもう少し発声の仕方を練習すればコウモリの超音波と同じ周波数が出せるのではないか、というくらい高く、大きな声を上げている。叫んでいる、と言ってもよいだろう。

お察しの通り、私はそのような子どもがどうも苦手である。

子ども叱るな来た道だ、とは言ったものではあるがそうは言われても苦手である。

別に馬鹿にするわけではないが彼らにはまだ自分たちの世界しか存在していない、と思っている節があると思っている。

だが、そのような自分が苦手とするタイプの子どもばかりではないことも理解しているつもりだ。

現に私の目の前で順番を待っていた女の子は母親と手をつなぎおとなしく順番を待っていた。

では、私自身はかつてどちらの系統の子どもだったか、と言われると残念ながら自分が苦手とするタイプの子どもではない、と言い切れる自信がない。

もしかしたらほぼ記憶に残っていない自分の面影を見てしまうことによって、同族嫌悪にも似たような感情で一方的に彼らのことを苦手と思っているのかもしれない。

そんな私であるからして万が一にも将来配偶者に恵まれ、子どもを持つということが起きたとしても自分はその子を育てられる自信がない。

もし、そのようなやんちゃな性格に育ってしまったら自分は恥ずかしいことではあるがそのイライラを我慢できるかどうかの自信がない。

最近自分の子どもを虐待して殺してしまう、というようなニュースをよく耳にする。

その親の年齢がある程度若い場合自分は「なぜまだ、収入も安定せず不安定な時期に子どもを作ってしまうのだろう」と思ってしまう。

おそらく個々の親子の場合によれば様々な事情によりやむを得ない、あるいはそれ相応の覚悟をして頑張っている、という立派な人たちもいるのだとは思うがそのようなニュースが報道されてしまうとなんかなあ……と思ってしまう自分がいる。

しかし、自分は年齢を問わずそのような親になる可能性が高いと思う。

自分はそのような子を可愛がることができる自信がないからである。

仮に自分と似た性格の子どもが生まれてしまったらもう可愛そうだとしか言いようがない。

だったら最初から作らない方がましである。

結局自分は子どもを都合の良い道具や見栄を張るための作品のようにしか結果的には扱わないのではないだろうか。



もう少し述べたいこともあるがうまく言葉にできないのでこの辺にしておこう。





























でも、こんなに偉そうに語ってますけど本当はすごくエロいこと考えてるんですよ




久しぶりに漫画の話。

今まで試験に追われて漫画買ってなかったし金欠だったし……


「さよならもいわずに」は読んでいたのだがこの作者の本領が発揮されるであろうギャグ漫画にはまだ手を出していなかった。

実は前々から上野顕太郎がおもしろいらしい、という話は聞いていたのだが正直この作者に手を出すか迷った。

少し自分の中でハードルが上がりすぎた気がしていたのでフツーに面白い、だけじゃなんか満足できなそうだったからである。

しかし、そんな心配をする必要もなく面白かった。

作者の思惑にまんまと自分が乗っかっているような、しかし非常に心地よい読後感であった。

電車の中で僕は読んでいたのだが思わず上野で降りるのを忘れて田端まで乗り越してしまうほど面白かった。

面白さの表現が微妙なのはわかっている。


読み終わった後になぜかインド映画が見たくなった。

なぜだろう、西部劇の章のときに少し触れられただけなのに……


余談であるがなぜ前巻である「夜は千の眼を持つ」から読まなかったかというと単純にどれが一巻かわからなくて適当に購入したからである……orz

不勉強だなぁまったく