昨日は長女と次女が通っているバレエ教室のクリスマス会でした。
このバレエ教室では、発表会のない年はクリスマス会が開催されます。
学年別のチームで先生が振り付けした踊りをしたり、バリエーションクラスを取っている子はバリエーションを披露したり。
生徒数は少ないですが、それだけに和気藹々とした楽しい時間が過ごせます。
今年は子ども達が二人とも出演し、三女は水ぼうそうでお父さんとお留守番チームなので、私一人で観客席に座っていました。
まわりに知り合いのママさんたちもいましたが、みなさんご家族連れだったりしたので挨拶程度しかせず、まぁぼんやりと開始を待っていました。
特にすることもないので、後ろの席のママさんたちのお話を聞くともなしに聞いていました。
どうも、一方のお母さん(Aさんとします)は、バレエ教室に通っている子(2年生)のお兄ちゃんが中学受験を狙って塾通いをしている様子。
それを、小3・小2の娘さんを持つお母さん(Bさん)が、情報収集的な感じで聞いているようでした。
このあたりでは、中学受験といえば県内に数校ある私立か、国立大学附属中学、または県外の有名私立を受けるしかありません。
Aさんの息子さんは国立大学附属中学を狙っているようで、そういう子もこのあたりではあまり多くないので、珍しいなぁと思って聞いていました。
塾通いの話になり、Aさんが
「塾に通うと何時間も座って授業をうけないといけないけど、下の子(バレエ教室に通っている小2女子)にはそんな忍耐力はないと思うんだよね。
お兄ちゃんはそういうの全然平気なんだけどさ。
それに女の子ってさ、主婦やるんならどこの学校出ても結局一緒じゃない?
それなら勉強より化粧覚えた方が役に立つと思うんだよね」
と話していました。
正直、驚きを隠せませんでした。
ど田舎とはいえ、未だにそんな古い考え方の人がいるんだ、と。
うちは女の子3人ですが、そんな風に考えたことはもちろんありません。
化粧を覚えた方が得=着飾っていいなるべく条件のいいオスに選んでもらうのを待つ
ってことですよね。
言い方は悪いですが、それじゃぁ動物の世界と大差なくないですか?
もちろん自分が選んだ相手が結果的に条件がよかったのであれば、それは幸運なことです。
でも、はなから男性に依存するつもりで自立する力を培うことを放棄することは、その子自身の選択肢を狭めることになり、極めて危険なことだと思います。
私は娘たちに、自分で人生を選択する力をつけてほしいと思って常々接しています。
女の子とはいえ、自立する力があれば、どんな状況でも臆せずに自分の進みたい道を選択できると考えています。
仕事でも家庭でも不遇な立場に置かれたとき、自分に力があればそこから自力で脱出することができます。
力を持たなければ、我慢することしか選択肢はないのではないでしょうか。
私は娘にそんな悲しい人生は送ってほしくないと思っています。
また、子どもには男女問わず無限の可能性があると考えています。
女の子であっても自分の「好き」や「得意」を見つけ、それを武器に将来を切り開いていってほしいと思っています。
そのためには、やはり男の子と平等な機会を提供していく必要があると思います。
「女の子だから」と機会を制限してしまうと、その子の可能性の芽を摘み取ってしまいます。
私は3人の子ども達が、三者三様に見せてくれる世界を今から楽しみにしています。
結果的に主婦を選択しても、それが彼女の選択であれば尊重したいと思います。
でも、いろんな選択肢の中からそれを選ぶのと、最初からそれ狙いでいくのでは、娘の中に広がる世界の広がりが、ひいては娘が子どもに伝えられる世界観が全然違うと思うのです。
そんなわけで、聞きながら非常にもやもやしてしまいました。
Aさんは、どちらかというとさばけていて気さくな一緒にいて楽しい方です。
それだけに、非常に残念な気持ちになってしまいました。