今回は、前回述べたテクノロジーの進化が野球に及ぼした影響から、なぜロボット審判を導入すべきなのかを明確な形で示したいと思う。

 

結論から述べてしまえば、完全無欠の存在でない人間に、常に正確なジャッジをしなければならない審判員の仕事を負わせるのは、機械やロボット、AIなどが発達した今の時代においては合理性がないのではないか、というのが私の主張である。

 

一昔前、審判員はミスをすれば、選手や監督、チーム全体から散々なバッシングを受けた。それが、テレビや新聞などメディアに取り上げられれば、ファンからも批判の声が届くこともあっただろう。しかし、現代のSNSは、NPBや審判団に対してアクションをとらずとも、一般人が簡単に批判や苦情を発信することが出来る。しかも、昔に比べてミスを鮮明な映像などで確認できる環境があることや、SNS特有の拡散力によって多くの人の目に触れることも相まって、近年ネット上では、審判員の人格そのものを否定するなど、節度のない心無い言葉が多く挙がっているのだ。

 

ミスジャッジは、1人の審判員が信頼を損なうだけでなく、審判員全体の信用を失うことに繋がる。特に現代は、選手やチームというより、それを取り巻くファンの信頼を著しく損なうことになる。「俺がルールブックだ」という名言があるが、今の時代、プレイヤーは審判員のジャッジが絶対でも、第三者はそうではない。客観的な証拠を探し出せさえすれば、簡単にミスを指摘することが出来てしまう。この事実を、NPB審判団は重く受け止めなければいけないと私は思う。

 

社会では今、人間ができなかったこと、または人間にとって重い仕事をロボットに任せることで効率を上げ、合理化を図る動きが盛んに行われている。ロボット審判も、そんな社会の流れの中で生み出されたものの1つである。だからこそ、それを使わないことには何の変化も生まれない。

 

ロボット審判についての議論はここで一区切りつけるが、今後も審判について様々な考え方をご紹介していきたい。今回はキャッチーな話題ということでロボット審判にフォーカスしたが、審判員の未来をさらに深く考えるためには、他の視点からの議論が必要不可欠である。だから、ここまでの話では腑に落ちないことも、今後紹介する話とリンクさせていただければ幸いだ。