#4では、私がロボット審判を推奨する理由を具体的に紹介した。今回はその続きで前回は触れなかった別の視点から議論を進めたい。

前回は、審判側の技術革新について述べたが、時代の変化は野球を取り巻く環境をも変化させている。近年、プロ野球を観る手段は現地観戦やテレビ中継にとどまらず、ネットで野球中継を視聴できるサービスも増加している。12球団全てのチームの試合映像がスマートフォンやタブレットで手軽に視聴できるようになった。

また、この10年で急速に発達したTwitterやInstagram等のSNSでも、試合の動画や画像などが逐一アップされ、それをチェックしていれば試合の流れが簡単に分かるほどである。

これらの事実は、審判側からすれば非常に厄介なことである。理由は、一昔前より審判員のミスジャッジが多くの人の目に触れやすくなり、それがクローズアップされることが多くなるからだ。特にSNSでは、中継で使用された映像の一部がアップされることも少なくなく、例えばリプレー検証が行われるような微妙なプレーなどは、ネット上で話題となり拡散され、最終的には野球が好きかどうかに関わらず多くの人がそれを目にすることになる。

 

最近では、審判員のミスがネットニュースを賑わせることもあるが、前にも述べたように誤審は今に始まったことではない。昔は、技術的な面で審判員のジャッジを確実に誤審と認定することは難しかったことはもちろん、そもそも審判員がミスと思しきジャッジをしても、現地観戦かテレビ中継、もしくは試合後のニュースや新聞でその情報が流れなければ知ることもできなかった。だから、審判員のミスに人々が触れることは今より少なかったのだ。(もちろん、明らかな誤審であれば翌日の紙面を賑わせていたが・・・)

 

SNSが、既存のメディアと決定的に違う所は情報を自発的に発信・拡散・検索できるという点と、性格や社会的地位、バックグラウンド等、全く異なる人々が同じコミュニティに属しているインターネットの特性上、開放的で多方面からの議論、指摘が個人レベルで可能となっている点だ。

 

これまでの話を総合すると、いつでもどこでも手軽に試合映像が確認できるようになった今日、昔に比べ審判員のミスジャッジがクローズアップされ、多くの人の目に触れることになるのはある意味当然のことだ。さらに、SNSを使って誰もが自由に意見、情報を発信できるようになったことで、審判員のジャッジひとつをとっても批判や苦情が至る所から吹き出し、野球ファンが審判員(審判団)に対して負のイメージを持ちやすくなる現状を生み出した。

 

最近は「審判員の質が下がった」「昔はこんなに誤審は多くなかった」。このような意見を盛んに耳にするが、それはまさにネット社会が起こしている錯覚に過ぎず、同時に、今まででは考えられなかった、審判員のファーストジャッジを一度白紙にして再検証するチャレンジシステムやリクエスト制度の恩恵でもある。

 

次回は、ここまでの話が今回の議論のテーマ、「私がロボット審判を推奨する理由」とどのように関係しているのかを明らかにし、明確な主張を示したい。