昨今の野球界では、数的データに基づく理論的かつ合理的なトレーニングを推進したり、指導の手段として暴力・暴言を用いる、いわゆる体罰を撲滅しようという動きが広まったり、長年指摘されてきた古典的な風習は少しずつ消えはじめている。

 

もちろん、それが完全に消滅したと胸を張って言えるようになるまではまだまだ長い時間がかかるだろう。しかし、変革期を迎えていることを感じずにはいられない。

 

 

このような流れの中で、勝利至上主義に対する批判が近年高まりつつある。これは、野球に限った話ではない。日本のあらゆるアマチュアスポーツがこの批判にさらされている。

 

勝利至上主義は、文字通りスポーツにおける至高は勝利することと考えるという意味を持つ。

また、勝利のためならば手段を選ばないということがここで表裏一体となっているのではないかと、私は考える。

 

 

さて、私がこの文章を書くに至ったのは、勝利至上主義の前提そのものに対して疑問を抱えていたからである。今回はアマチュアスポーツとしての野球の代表格である高校野球にスポットを当てて2つの観点から議論を進めたい。

 

※「アマチュアスポーツ」と「学生スポーツ」は厳密には異なるものであるという個人的見解で

 すが、この文章では便宜上「アマチュアスポーツ」に統一して表記します。ご了承ください。

 

 

1."スポーツ"の観点から

 

まず、高校野球において勝利至上主義を想起させる具体的な事象は何だろうか。冒頭にも挙げた体罰や、故障を抱えた主力選手を強行出場させることなどいくつか存在する。

 

次にこれらの具体的な事象に対してスポーツ全体の観点からごく一般的な解釈を加えていく。

 

 

・故障選手の強行出場

どれだけ能力が高い主力選手や、プロが注目するようなスター選手でも、体調が万全でない状態で試合に出ることはスポーツにおける一般論としては明らかな戦力ダウンである。このような采配は本来、勝利の追求とは決して言えない。

 

・選手育成・チーム編成

前述の事象を受けて、選手個人の能力の問題(主力に代わって出場させるほどの能力もある選手がおらず、万全でなくても主力選手の方が頼れる等)があるが、これについては、チーム編成や育成の時点で方向性を間違えていると考えられる。

 

チームスポーツにおいては、レギュラー選手の出場が不可能になったとき、その穴を埋めるとはいかないまでもそれを補うくらいのサブメンバーを用意することが一般的である。個人の能力に関しては主力レベルに匹敵する能力まで育てることは非常に難しいが、故障時の主力選手と同じくらいのレベルまで育てることは不可能ではないと考える。

 

※アマチュアスポーツ特有の人数不足問題は後述

 

#2へ続く