今を楽しむことはなかなかできませんが   時間に関して 「ベルクソン あいだの哲学の視点から」や 「時間はどこで生まれるのか」の時間を勘案するべきか迷うところですが   もうひとつ時間に関する感覚として ファシングを大学時代サークルでかじりましたが 練習でも試合中でも集中すると 時間の感覚がなくなるときがあります   臨死体験時に時間の感覚がなくなり過去のことを一瞬の間に思い起こすことがあるとか  感覚器官としてはもともと今を楽しめないように信号処理さするのが一般的で その処理を意識的にはずすことを身に着ければ今を楽しめるということなのか   そもそも構造主義の世で文化自体に内包される保守的な作用が今を楽しむことに制限をかけているとすると開放することは安全なのか そのように考えることが今を楽しめないのか 無無無・・・