ぼくには数字が風景に見える/D. タメット
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障害のある人が自分自身で書いたもので 人間を自分を知る上で役立ちます この方は自身で語学の学習サイトを作られています  この本を読んで ふと この世において 宇宙は自分自身をりかいするためのものとして 人間を生み出したのかもと思えました
今を楽しむことはなかなかできませんが   時間に関して 「ベルクソン あいだの哲学の視点から」や 「時間はどこで生まれるのか」の時間を勘案するべきか迷うところですが   もうひとつ時間に関する感覚として ファシングを大学時代サークルでかじりましたが 練習でも試合中でも集中すると 時間の感覚がなくなるときがあります   臨死体験時に時間の感覚がなくなり過去のことを一瞬の間に思い起こすことがあるとか  感覚器官としてはもともと今を楽しめないように信号処理さするのが一般的で その処理を意識的にはずすことを身に着ければ今を楽しめるということなのか   そもそも構造主義の世で文化自体に内包される保守的な作用が今を楽しむことに制限をかけているとすると開放することは安全なのか そのように考えることが今を楽しめないのか 無無無・・・

宇宙ブラボーで紹介してあった http://www.takaramap.com/smartsection+item.itemid+73.htm  が役立つかなと思えます 自分の幸せには 子供の成長を夢としてがあるので 昨今の製造業の物づくりの見直しを考えて またグローバル社会に備えて コンピュータリテラシーと語学力の育成を 同時に自分のスキルアップを目標にしようかと  ところでTHE science of getting Rich に自分が幸せになることを考える・・・とあるましたが   釣りバカ日誌のはまちゃんのポロポーズの言葉に 自分が幸せになりたいので結婚して欲しい というのがあったかと思いますが   同じことでしょうか  最後に引き寄せのための俳句  「引き寄せて 金が成るなり 興福寺」

マイケル・J・ロオジエ, 石井 裕之
引き寄せの法則
ああこれだと取り入れても 何か違うなと思いつつ 何もできくなく過ごしてきた気もしますが これならばと思えるような出会いの本でした これに触発されて検索で 宇宙ブラボー  なるHPにもたどり着きましたが The science of Getting Richの訳も結構共感できました。
 そこで自分の心のさびを落とすための替え歌考えて見ました。余分なことを考えないようにしようとするときに役立ててます。

ぼくらは みんな 生きている
  生きているから 感じるんだ
  ぼくらは みんな 生きている
  生きているから うれしいいんだ
  手のひらを太陽に 透かして見れば
  光に満ち溢れる ぼくのからだ
  子供だって ワイフだって 自分自身だって
  みんなみんな 生きているんだ
  幸せなんだ


小林 英樹
ゴッホの復活―日本にたどり着いた「ひまわり」の正体
ひさびさの面白い本です 芸術 絵画を読み解く力 同時に画家への哲学的考察 それらを素人にわかりやすく表現しています 何度かあのひまわりを企画展で見ましたが この本を読むと造形的に ゴッホが描いたものではないかとが実感できました 推理としても面白い本です 
芳沢 光雄
算数・数学が得意になる本
 こういう本が数学を実社会に役立たせる原動力になるのだと思います 理解することの大切が身にしみてわかります なぜ勉強するのかについて書いた本が出版されていたかと思いますが この本はその質問にも十分答えていると思います
橋元 淳一郎
時間はどこで生まれるのか

人間的時間と物理的時間の統合・・・・であるが 人とは何か どこから来てどこへ行こうとしているのかに ついても道案内するような本です

 初めて音声ガイドなるものを借りて鑑賞してみた。 今まで拒否感を感じて借りなかったが、今回の企画展はなじみがないものなので 借りてみたところ なかなか役に立った。  19世紀初期 愛される子ども、甘える子ども ところで絵の技法に違和感を感じたが このころの画家は独学で学んで肖像画を描いていたので 遠近法等におかしいところがあるがポップアートとして確立しているという解説を聞き なるほどと思った。 絵画を通して当時の具体的な生活が垣間見られた気がした。 美術作品を子どもの肖像画という系列で歴史的に見るのもなかなか美術の変遷を感じとられいいものだと思う。 牧草地の少年たち が好きであるが 解説で人物の個性を弱めることによって、よりその人物を普遍化しようとした ということであるが 私にはその子どもの姿に トムソーヤであったり 幼少のころの自分の経験を その中に見出す感覚がするという感じがして 好感を持つのであるが    帰りに ボストンランチなるものを食したが 画の形を模したもので それはそれでまあいいけども 当時の食事の何かを再現したものも一品そえるという工夫も欲しいと思われました・・・・・

 白の上にⅡ の酒井健「解き放たれる幾何学の生」という批評が気になった。 近代の精神は生命軽視の混迷の時代を生きる我々の問題でもある。一見して多様性が肯定され 自由に物品や情報を取捨選択できる状況にありながら 効率と簡便さを追及する近代理性に肯定的に従って白黒単純な分類 安直な等級づけ 性急な数値の比較をしている。 そうやって対象を一元化し支配している。  多様な図形が鋭く交差するこの抽象画は 近代理性に怠惰に従う我々の精神を 剣のように切り裂いて覚醒を迫っている。 生命への創造的な生命への覚醒をである。  白の上にⅡ という作品に私はそこまで読みとれないが 批評の言わんとすることには共感できるところがある。  画そのものの批評は 下地が淡くなり画布の四辺が色彩の重たい自己主張から開放されだすため幾何学的な図形はどれも自由に画面上を浮遊して自分の活動に専念できるようになるのであるとあるが 自分が無意識的に感じ 意識で好ましく感じることを 言葉にしてくれていると感じる。 こういう画を読み解いていくことは 自己の今のありようを反映する気がして少々行きぐるしこともあるが 必要なことだとつくづく思えるようになってきた。