人とのズレがとても大きくて人間関係を今後も継続していくことが難しい、という不安を抱く疲弊者がいたとすれば、その疲弊者の中核信念は、「私は好かれない」の領域に含まれると判断される。仙人的な無力感、あるいは、目標に達成できていない感覚(ダメな人間だ、劣っている、十分でない、負け犬、馬鹿にされる存在)が含まれる。「私は好かれない」の領域に含まれる典型的な中核信念があげられている。そのテーマには、価値がない、望ましくない、目標に達していないという感覚(達成というよりはむしろ、他人から愛され、評価されるために必要なものを失ってしまった)を含む。その中核信念がどの領域に入るのかの判断が容易なこともある。とりわけ、疲弊者が例えば実際に、「私は無力である」とか「私には魅力がない」などの言葉を口にするときである。他方、初めはどの中核信念の領域に該当するか、卓越者に判断がつかない場合もある。例えば、抑うつ状態にある疲弊者が、「私はしっかりしていない」などである。そのような時卓越者は、疲弊者の言葉が「出来が悪い」にかかわるものなのか、「好かれない」にかかわるものなのか、その「しっかりしていない」という思考の意味を間うて確認する必要がある。

日常の風景


学校がクオリティ・スクールを目指す取り組みをする選択をすれば、生徒、教師、そして親は気づく。クオリティ・スクールの教師と訴をすれば、こんな答えが返ってくる。「皆が誰よりも幸せになり、生徒は前よりも一生懸命に勉強をするようになりました。教師の仕事は、以前よりももっと面白いです」「どうして他の学校はこうならないのですか?」クオリティ・コミュニティを目指し、他校の教師も、プログラムの一部として、選択理論を学んでいるなら、彼らは自分たちの学校をクオリティ・スクールに移行させようと自然に考える。ある学校はクオリティ・スクールになって三年経った。全世界から人々が訪ねてくる。しかし、地域の他の学校は、移行しようとしていない。クオリティ・コミュニティが必要な理由はここにある。コミュニティでは、暴力は減少するであろう。もしそのようなことが起これば、そのためにできる目に見えるものがある。ファースト・ステップ・プログラムと同じようなものである。このプロクラムは良いものであるが、暴力が起こった後の対策であるので、クオリティ・コミュニティは、このプログラム以上の効果を生みだす。