第5章  虚構と現実 〜信ずるべきはニーチェか、レーフラーか〜
第2節  神学者カール・レーフラー、その正体と半生


第1章から3章にわたり『今日の神学にとってのニーチェ』、そして第4章においては『ディ・タート』誌への投稿論文を紹介してきたが
(引用者注:本書の構成については後述の注釈を参照いただきたい)
著者のカール・レーフラー(Carl Loevler)氏の慧眼には読者諸兄の方々も本当に驚かされたのではないかと推察する。
19世紀後半のドイツ宗教学を紐解くにおいて、この神学者カール・レーフラーは重要な人物であることは間違いないが、
ではカール・レーフラーとは一体どのような人物であったかについて、この節で少し紹介しておきたい。

レーフラーの幼少期は、十歳で神童と呼ばれるほどの飛び抜けた才能を見せ、十五歳の頃は才子として
当時の神学校において優秀な成績を収めたという記録が残っている。
その後レーフラーは二十代に神学者の学友とgewöhnliche Leuteというグループを立ち上げ積極的に活動することになるが、
そこで出会ったのが、ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」であった。

(中略)

「神は死んだ」で有名なニーチェは、そのニヒリズムにより神性の不在を説いたが、そこに一石を投じたのがレーフラーである。
当時ニーチェ、およびリッチュルの神学に対し独自の理論によりこれを否定した神学者はレーフラーを含む数名のみであり、
その中でも虚実をはっきりと分け、論理的かつ明確な反論をしているのはレーフラーのみであることをここに記しておきたい。
この内容については前述の第1章から第4章、および『ヴァイマールの聖なる政治的精神――ドイツ・ナショナリズムとプロテスタンティズム』
(深井智朗 著、岩波書店刊)に詳しく書かれていることからここでは概要を述べるに留めるが、いずれにせよレーフラーは
この功績により偉人の一人に名を連ねることになったのである。

(中略)

参考までに、中国においては「加流 伶符喇(かりゅう れいふら)問対」として紹介され、蒋介石お抱えの
ドイツ語翻訳者 明代(ミン タイ)により中国語に翻訳された。
この写本は現在、台湾の故宮博物院と日本の国立国会図書館に2部が残るのみである。
なお「中国暗殺拳とカトリック神学」(民明書房刊)でこの書について触れられている箇所があるが、
初版では「明代により翻訳された」と書くべき所を「明代に翻訳された」と誤って記載してしまっており、
「明の時代(1368-1644年)に(1924年刊行の本が)翻訳された」、つまりこれはタイムトラベラーがカール・レーフラーの書を明代に持ち込んだ証拠である、
と解釈するトンデモ論者が少なからずいる事がわかっている。
賢明なる読者諸君は、このような流言飛語に踊らされないよう常日頃から注意していただきたいと切に願う。

(後略)



引用者注:
本書は、カール・レーフラーの『今日の神学にとってのニーチェ(1924年刊行)』(第1章〜第3章)および
レーフラーの『ディ・タート』誌への投稿論文の翻訳(第4章)、またそれに関する羽園による解説エッセイ(第5章)から構成されている。
このうち第4章の翻訳に際して参照したのは次のテクストである。

Carl Loevler : Dies ist ein artikel des lügen, Die Tate, vol.74, no.7, p.21-33(1922)

Carl Loevler : Ein falsch artikel, Die Tate, vol.75, no.3, p.12-25(1923)

この記事は本書の第5章第2節から一部引用している。


民明書房刊『現代語訳・解説  今日の神学にとってのニーチェ(カール・レーフラー著; 羽園頼也 訳論)』より



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カール・レーフラーという、非常に興味深い人物についてつい最近知ったので、民明書房から
「今日の神学にとってのニーチェ」が発刊されてないか今更ながら調べてみたら、あったあった、やっぱりありましたよ!
どういう人物かは、検索してみるとわかります口笛口笛口笛

しかし、すごい人だったみたいですねカールレーフラー。
十で神童、十五で才子、二十過ぎれば……
これを見ると幸せになれるかもしれません。
カールおじさんはカールレーフラーが由来だったとか。びっくり。

また、この訳論を書かれた羽園教授が教鞭を振るっている
行きたかった!
というか、国際信州学院大学って実家の近くなんだけど……
子ども時代、「第7サティアン」とか「エリア51」とか「サンダーバードの秘密基地」とか呼んでた建物、あれ大学の校舎だったんだ…
関係者の方すみません。


あと、訳論書いてる羽園教授のラジオ番組がやっていたので紹介します。



閑話休題。


今回の民明書房は、実在する本から一部引用したという形で書いてみました。
こういうのもたまにはいいんじゃないかな?
民明書房と知らずにパッと見たら騙される人が出るんじゃないかくらいの勢いで引用してます。
これに関連して今更ながら国際信州学院大学も発見。学歌に爆笑。素晴らしい!


ちなみに、最後の「加流 伶符喇」は他の方のネタを引用させていただきましたが、1924年の本が長い年月をかけ明代(1368-1644年)に翻訳されたという
時空を超えていた状態だったので、違和感を減らすためにフォロー入れときました。
明らかな嘘として入れるわけじゃない限りは、違和感をできるだけ持たせないよう、こういう時代の不一致は
やっぱりできるだけ無くした方がいいと思います。こういうのがあると一気にチャチな嘘っぽくなっちゃうので…いや嘘なんですが。

れいにーの民明書房も、国際信州学院大学や、虚構新聞レベルに到達できるくらいの練度になりたいものです。
うそはうそであると見抜ける人でないと(民明書房の書籍を読むのは)難しい。