『小丸子(ショウワンズ)』


時は中国清朝中期、紅楼夢等の庶民文学により京劇文化が花開くと、京劇を見ながら手軽に食べられる食事(点心類)もそれに伴っていろいろなものが作られた。
中でも有名なものは、今で言うエビのツミレのような食べ物を丼に浮かべたスープ、「小丸子(ショウワンズ、小さい丸々としたもの、という意味)」である。
小丸子は花輪(かりん)という少年が爺やのために作ったのが最初とされ、後に「櫻桃小丸子(オウトウショウワンズ)」
という名で売り出し大繁盛、花輪と爺やは大金持ちになったというエピソードが伝わっている。
中国4000年の歴史!と聞いて多くの人が「辮髪頭にラーメン丼を持って、小丸子を食べる中国人」
容易にイメージすることからも、当時小丸子がいかに流行していたのかよくわかるだろう。

この小丸子、明治初期に清朝の特使であった穂波玉三郎(玉ちゃん)の尽力により日本でも売り出す事が決まったが、
その際新聞に載った「余リノ旨サ二踊リダス、本邦光臨(ほんぽうこうりん)小丸子!オ臍(へそ)ガチラリ」という広告は非常に有名であり
筆者のように「ザンギリ頭を叩いてみれば〜」と共に歴史の授業で習ったという諸兄は少なくないであろう。
ちなみに小丸子は豆腐屋のように路上販売が主だったが、「ピーヒャラピーヒャラ」「パッパパラパ」と笛やラッパを鳴らして客寄せをしたことから
当時はこれらの音を聞くだけで小丸子を思い出す者が多かったと言う。

このように、「"踊る本邦光臨"と言えば"小丸子"」と言われるほど庶民に浸透した小丸子は、丸尾、浜路、永沢、藤木といった著名人達に愛されたものの、
戦後になるとGHQによる急速な欧米化と共に廃れ、原料事情や後継者不足も相まって現在では地方で細々と売られるだけとなってしまったのは残念の一言である。

昨今、サザエさん、ドラえもんと並ぶ国民的アニメとして有名なちびまる子ちゃんの曲として「おどるポンポコリン」と言う
不思議な歌詞の曲が有名だが、それはこの小丸子のキャッチコピーを参考にしている事は賢明な読者諸君はお分かりのことであろう。
なお、あるプロデューサーがたまたま食べた小丸子のうまさに感動し、
「もっと強く黄身を溶き入れたなら、もう他に探すものはない(=それだけ完成された味)」と大絶賛した事が
ロックバンドであるWANDSの名前の由来である事は意外と知られていない。


民明書房刊『明治から昭和の庶民文化〜夢見ることなら目一杯〜』より









さくらももこさん追悼、ちびまる子ちゃんネタです。いい人ほど早く死んでいく…

ちなみに中国(&台湾)では実際、ちびまる子ちゃんの事を「櫻桃小丸子」と呼んでいますが、上記小丸子との関連性は不明です。
と言うか、出展は民明書房なので信じないように!ニヤリニヤリニヤリ